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今いくよ・くるよの師匠は誰?名門・島田洋之助と喜多代の絆と紳助秘話

白石 ひなた 白石 ひなた • 更新: • 公開: • 読了約 7 分
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昭和から平成の漫才界を華やかに彩り、女性漫才師のパイオニアとして絶大な人気を博した「今いくよ・くるよ」。派手な衣装と「どやさ!」のフレーズで日本中を笑顔にしてきた2人ですが、その卓越した話術と舞台度胸の根底には、昭和の上方演芸界を代表する大師匠の厳しくも温かい教えがありました。

今いくよ・くるよの師匠は一体誰だったのか。名門夫婦漫才コンビへの弟子入り経緯から、島田紳助さんや島田一の介さんら豪華すぎる兄弟弟子との知られざる関係性、そして過酷な下積み時代を支えた師弟の絆まで、昭和漫才史に刻まれた感動の舞台裏を紐解きます。

【師匠は誰?】今いくよ・くるよを育てた「島田洋之助・今喜多代」の偉大なる足跡

いくよくるよ師匠

「今いくよ・くるよ」の名付け親であり、生涯の師となったのは、昭和の上方演芸界で一時代を築いた夫婦漫才師「島田洋之助・今喜多代」です。

島田洋之助さんの軽妙洒脱なボケと、今喜多代師匠の鋭くも愛情あふれるツッコミは天下一品で、上方漫才大賞をはじめ数々の名誉ある賞を受賞。吉本興業の看板芸人として劇場を沸かせ続けました。門下に入った弟子たちは、洋之助師匠から「島田」の亭号を、喜多代師匠から「今」の亭号を授かる伝統があり、今いくよ・くるよの2人は喜多代師匠の名を受け継ぎました。

喜多代師匠は舞台上での切れ味鋭い芸風とは裏腹に、私生活では弟子たちの面倒を親身になって見る「芸人界の肝っ玉母さん」としても広く親しまれていました。

なぜOLから弟子入りへ?ソフトボール部出身の2人が門を叩いた理由

京都明徳高校のソフトボール部でキャプテン(いくよ)とエース(くるよ)として国体出場も果たした2人。卒業後はそれぞれ大手企業や銀行に就職し、一度は堅実な社会人生活を送っていました。

しかし、エンターテインメントへの情熱を諦めきれなかった2人は、会社員を辞めてお笑いの世界へ飛び込む決意を固めます。数ある芸人の中から島田洋之助・今喜多代師匠を選んだ理由は、「女性が主導権を握り、舞台で堂々と輝いている姿への強い憧れ」でした。

当時の演芸界では女性芸人が単独や同性コンビで大成するのは極めて困難な時代。今喜多代師匠の圧倒的な存在感に心を奪われた2人は、ツテもないまま劇場の楽屋口へ直談判に赴きました。体育会系仕込みの礼儀正しさと底知れぬ熱量を買われ、1970年に晴れて正式な弟子入りが認められたのです。

島田紳助や島田一の介も!錚々たる「島田洋之助・今喜多代門下生」の系譜

吉本興業の歴史においても、島田洋之助・今喜多代一門は異彩を放つスター軍団でした。門下生には、後の日本のお笑い界を根底から変える逸材が揃っていました。

一門の主な顔ぶれを見れば、その影響力の大きさが一目で分かります。

  • 島田一の介:吉本新喜劇の重鎮として長年舞台を支え続ける大ベテラン。いくよ・くるよの兄弟子にあたる。
  • 島田洋七:「B&B」として1980年代の漫才ブームの頂点に立った天才漫才師。
  • 今いくよ・くるよ:女性漫才コンビとして初の全国区ブレイクを果たしたパイオニア。
  • 島田紳助:「紳助・竜介」として漫才界に革命を起こし、稀代の司会者となったトップランナー。

このように、漫才ブームの中核を担った伝説の芸人たちが同じ師匠の元で芸を磨き、互いに刺激を与え合っていました。

島田紳助との特別な絆|同期同然の兄弟弟子が語り継ぐ下積み秘話

一門の中でも、今いくよ・くるよと島田紳助さんとの絆は格別なものでした。入門時期が近かった紳助さんは、いくよさん・くるよさんを「姉さん」と呼びながらも、同期のライバルのように深い信頼を寄せていました。

下積み時代、まだ仕事がほとんどなかった若手芸人たちに対し、喜多代師匠は自宅で手料理を振る舞い、生活の隅々まで気を配っていました。紳助さんは後に番組やインタビューで「喜多代師匠の厳しさと温かさがなければ、今の自分は絶対に存在しなかった」と述懐しています。

また、いくよ・くるよの2人が舞台で伸び悩んでいた時期には、紳助さんが構成や見せ方のアドバイスを送り、逆に紳助さんが悩んでいる時は2人が持ち前の明るさで励ますなど、師匠の教えを受けた兄弟弟子同士の支え合いは終生続きました。

昭和の漫才ブームを駆け抜けた伝説|女性漫才師の道を拓いた師弟の教え

1980年代初頭、日本中を席巻した「THE MANZAI」を発端とする漫才ブームにおいて、今いくよ・くるよは細身のいくよとふくよかなくるよという強烈なビジュアルコントラストと、テンポの良いド突き漫才で一世を風靡しました。

「女性が体を張って笑いを取る」ことに対して世間の偏見も少なくなかった時代、彼女たちを支えたのは師匠である今喜多代さんの教えでした。

「舞台に出たら男も女もない。客を笑わせた者が一番偉いんや」
「ただし、下品な笑いには絶対逃げるな。上品な華を持ち続けなさい」

この教えを愚直に守り続けたからこそ、2人の漫才は老若男女から愛され、上方お笑い大賞をはじめとする栄冠を総なめにし、後進の女性芸人たちが活躍する道を切り拓くことにつながったのです。

【今いくよ・くるよの師匠】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:今いくよ・くるよの師匠は島田洋之助・今喜多代のどちらですか?
A1:夫婦漫才コンビ「島田洋之助・今喜多代」の2人双方に師事しています。女性である今喜多代師匠から「今」の亭号を授かり、私生活や芸の基本を学びました。

Q2:島田紳助さんとはどのような師弟関係・関係性だったのですか?
A2:島田紳助さんは島田洋之助師匠の弟子であり、今いくよ・くるよとは同門の「兄弟弟子」の間柄です。下積み時代を共に過ごし、生涯にわたって盟友として強い絆で結ばれていました。

Q3:なぜ「島田」ではなく「今」という芸名になったのですか?
A3:一門の慣例として、洋之助師匠の弟子は「島田」(島田紳助、島田一の介、島田洋七など)、喜多代師匠の弟子は「今」(今いくよ・くるよなど)の亭号を名乗る決まりになっていたためです。

今いくよ・くるよが残した数々の伝説的な名舞台。その鮮やかな笑いの土台には、昭和の名人・島田洋之助・今喜多代師匠から受け継いだ「芸に対する真摯な姿勢」と「観客への限りない愛」が息づいていました。

いくよさん、くるよさんが旅立った今もなお、2人が開拓した女性漫才の系譜と温かな笑いの精神は、吉本興業の劇場や多くの後輩芸人たちの中に色褪せることなく受け継がれています。

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白石 ひなた
トレンドリサーチャー 白石 ひなた
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芸能・エンタメ取材7年。一次情報は事務所の公式リリースと本人の公式SNSに限定し、報道だけの情報は複数媒体の一致を確認してから扱います。

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