毎年のノーベル賞シーズンになると、世界中の研究者や科学ジャーナリストから熱狂的な視線を集めるのが、京都大学特別教授の北川進(きたがわ すすむ)氏です。物質の内部に無数の微細な孔(あな)を自在に設計できる「多孔性配位高分子(PCP/MOF)」を確立し、従来の化学の常識を覆した功績は、21世紀の物質科学における金字塔として国際的に高く評価されています。
気体を自在に吸着・分離・貯蔵するこの技術は、地球温暖化対策の切り札であるCO2回収や、次世代エネルギーの水素貯蔵など、地球規模の環境課題を根本から解決するキーテクノロジーとして急速に社会実装が進んでいます。科学界の巨星・北川進氏の足跡と、現在進行形で進化する研究のインパクトに迫ります。
【世界が熱視線】北川進氏がノーベル化学賞の最有力候補に挙げられ続ける理由
国際的な科学賞の発表が近づくたび、世界のトップジャーナルやノーベル賞ウォッチャーの間で真っ先に名前が挙がるのが北川進氏です。現在74歳(1951年7月生まれ)を迎えた北川氏は、半世紀にわたり錯体化学のフロンティアを開拓し続けてきました。
ノーベル賞の登竜門として知られるクラリベイト引用栄誉賞(旧トムソン・ロイター引用栄誉賞)を2010年に受賞して以来、長年にわたり受賞候補の筆頭格として君臨しています。その理由は極めて明快で、北川氏が開発した材料が単なる実験室内の発見にとどまらず、地球環境危機やエネルギー転換という全人類的課題に対する「具体的な解決策」を提示しているからです。
化学の歴史において、分子の配列を精密にコントロールしてナノサイズの空間を作り出す試みは数多く存在しました。しかし、北川氏のように「狙った気体だけを選択的に吸い込み、自在に出し入れできる空間」を自由自在にデザインする手法を確立した例は他にありません。基礎科学としての美しさと産業への波及効果の大きさが、国際的な評価を絶対的なものにしています。
【画期的発明】多孔性配位高分子(PCP/MOF)とは?科学界を激変させた仕組み
北川氏の最大の功績は、多孔性配位高分子(PCP:Porous Coordination Polymer)、一般に金属有機構造体(MOF:Metal-Organic Framework)と呼ばれる新材料の創成です。この材料は、金属イオン(結び目)と有機配位子(柱)をジャングルジムのように規則正しく連結させることで、内部に無数の微細な空間を持たせた結晶体です。
かつての化学界では、「金属と有機物を結びつけた骨格は脆く、内部の溶媒を抜けば空間が崩壊する」というのが定説でした。しかし、北川氏は1990年代後半、強固かつ柔軟な結合を持つ「第2世代・第3世代PCP」を次々と発表し、「骨格を保ったまま気体を大量に吸着・放出できる」ことを実証して世界を驚嘆させました。
このPCP/MOFが持つ最大の驚異は、その表面積の広さです。わずか角砂糖1個分(約1グラム)の粉末の中に、サッカー場数面分に匹敵する表面積が凝縮されています。加えて、金属や有機分子の種類を変えるだけで、孔の大きさや化学的性質をナノメートル単位で自在にチューニングできるため、「CO2だけを通す」「メタンガスだけを閉じ込める」「大気中から水分だけを回収する」といった、オーダーメイドの機能設計が可能になりました。
【経歴と歩み】京都大学から世界最高峰へ|常識を覆した研究者の足跡
北川進氏の研究者人生は、京都大学工学部石油化学科からスタートしました。1979年に同大学院で工学博士号を取得後、近畿大学や東京都立大学での教鞭を経て、1998年に京都大学大学院工学研究科の教授に就任。一貫して配位化学・錯体化学の道を究めてきました。
研究の道のりは決して平坦ではありませんでした。1990年代初頭、多孔性材料といえばゼオライトや活性炭などの無機化合物が主流であり、金属と有機化合物を組み合わせた構造体に気体を吸着させるという北川氏のアイデアは、学会でも「構造を保てるはずがない」と異端視されることが少なくありませんでした。
周囲の懐疑的な視線にも屈せず、精密な結晶合成と徹底した構造解析を積み重ねた北川氏は、1997年に室温・常圧で安定して気体を吸脱着できる多孔性配位高分子の合成に成功。この論文が世界の化学者に強烈な衝撃を与え、世界的なPCP/MOF研究ブームの引き金となりました。
【圧倒的な受賞歴】クラリベイト引用栄誉賞から世界最高峰の科学賞まで
常識を打ち破る成果を上げた北川氏には、国内外から数々の栄誉が寄せられています。その受賞歴は、世界トップレベルの研究者であることを物語っています。
主な受賞歴は以下の通りです。
- 2009年:日本化学会賞、フンボルト賞(ドイツ)
- 2010年:トムソン・ロイター引用栄誉賞(現クラリベイト引用栄誉賞)
- 2011年:紫綬褒章
- 2013年:ドゥ・ジェンヌ賞(英国王立化学会)
- 2016年:日本学士院賞
- 2017年:ソルベイ賞(ベルギー・科学界最高峰の国際賞の一つ)
- 2019年:エマニュエル・メルク賞
- 2023年:大川賞
- 2024年:慶應医学賞、文化功労者選出
特に2017年の「ソルベイ賞」受賞は、歴代の受賞者にノーベル賞受賞者が名を連ねる名誉ある賞であり、北川氏の業績が歴史的偉業であることを世界に証明しました。
【京都大学iCeMSと現在】地球環境を救う気体分離・CO2回収の実用化最前線
2007年、文部科学省のWPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)として発足した京都大学 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)において、北川氏は中心人物として参画し、2013年から2023年まで拠点長を務めました。現在は京都大学高等研究院の特別教授として、第一線で研究の指揮を執っています。
北川氏の研究室が現在注力しているのは、基礎研究の深化と並行した「気体分離の実用化テクノロジー」です。特に以下の領域で急速な社会実装が進んでいます。
- 産業排ガスからの高効率CO2分離回収:製鉄所や化学プラントから排出される混合ガスから、低エネルギーでCO2のみを選択回収する技術
- 空気中からの直接炭素回収(DAC):超低濃度の二酸化炭素を大気から直接吸着・固定化する新素材の開発
- 有毒ガス・危険物質の安全貯蔵と無害化:半導体製造で使われる特殊ガスやアンモニア、アセチレンなどの効率的かつ安全な運搬
- 次世代クリーンエネルギー貯蔵:水素やメタンを高密度で充填できる車載用タンク素材への応用
京都大学発のスタートアップ企業とも連携し、研究室で生まれたナノ材料をトン単位で大量生産するプロセスも確立されつつあります。基礎理論の提唱から社会実装までを自ら牽引する姿勢は、国内外の産業界からも絶大な期待を集めています。
【学会や産業界の評判】「気体を操る魔術師」と呼ばれる人物像と人柄
世界の研究者仲間から「気体を操る魔術師(Alchemist of Air)」と称賛される北川氏ですが、その評判は研究業績だけでなく、温厚で情熱的な人柄にも集まっています。
研究指導においては、若い学生やポスドクの突飛な発想を否定せず、「まずやってみなさい」「常識を疑うところにしか新しい科学はない」と背中を押し続けるスタイルで知られています。iCeMSの拠点長時代には、化学だけでなく生物学や物理学、医学など異分野の研究者が垣根を越えて交流するオープンなラボ環境を作り上げ、数多くの有望な若手研究者を世界へ送り出しました。
学会講演での分かりやすくユーモアに富んだ語り口も定評があり、「目に見えない気体に空間という家を作ってあげるのが私の仕事」と語る詩的な表現力は、専門外の聴衆をも惹きつけてやみません。
【北川 進】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:北川進氏の専門分野は何ですか?
A1:錯体化学、無機化学、超分子化学が専門です。特に金属と有機化合物を結合させて無数の極微小な孔を持つ結晶を作る「多孔性配位高分子(PCP/MOF)」の研究で世界をリードしています。
Q2:PCPとMOFにはどのような違いがあるのですか?
A2:基本的に同じ物質群を指しています。北川氏が主導する日本では「多孔性配位高分子(PCP)」と呼ばれることが多く、海外(特に米国)では「金属有機構造体(MOF)」と呼ばれるのが一般的です。学術的・産業的にはほぼ同義として扱われています。
Q3:なぜPCP/MOFが地球温暖化対策に有効なのですか?
A3:従来の気体吸着剤(活性炭やゼオライト)に比べ、目的の気体(CO2など)だけをピンポイントで吸着する性能が圧倒的に高いためです。回収にかかるエネルギーコストを大幅に削減できるため、工場排ガスの浄化や大気中からのCO2直接回収(DAC)において実用化が進んでいます。
目に見えない気体を自在に操り、人類が直面するエネルギー・環境問題に科学の力で立ち向かう北川進氏。その功績は、一過性の流行にとどまらず、次の世紀のインフラを支える基盤技術として着実に根を張っています。
「常識を打ち破る純粋な好奇心」から生まれた多孔性材料は、今やカーボンニュートラルの実現に向けた最前線で不可欠な存在となりました。ノーベル賞という栄誉の行方はもちろんのこと、北川氏が拓いたナノ空間科学が今後どのようなブレークスルーを社会にもたらすのか、その一挙手一投足から目が離せません。