日本最高峰の名誉として、国内外で歴史的偉業を成し遂げた人物に贈られる「国民栄誉賞」。1977年の創設以来、スポーツ界のレジェンドから文化・芸能の巨星まで数々の著名人が名を連ね、そのたびに日本中へ大きな感動をもたらしてきました。
一方で、その選考基準や「賞金は本当に出ないのか」という副賞の謎、さらには名誉ある打診をあえて断った辞退者たちの驚くべき理由など、知られざる裏側も少なくありません。本稿では、歴代の全受賞者データを総整理するとともに、辞退劇の真相や最新の授与基準まで解説します。
【一覧表】歴代の国民栄誉賞受賞者と主な功績

1977年の第1号授与から現在に至るまで、国民に深い感動と希望を与えた歴代受賞者を一覧で紹介します。スポーツ界の金字塔から国民的エンターテインメントを築いた文化人まで、多彩な顔ぶれが並びます。
| 受賞年 | 受賞者(敬称略) | 分野 | 主な受賞理由・功績 |
|---|---|---|---|
| 1977年 | 王貞治 | プロ野球 | 通算本塁打世界記録(756号)達成 |
| 1978年 | 古賀政男 | 作曲 | 「古賀メロディー」を通じた国民的音楽の確立(没後受賞) |
| 1984年 | 長谷川町子 | 漫画 | 漫画『サザエさん』を通じて家庭に安らぎを提供(没後受賞) |
| 1984年 | 植村直己 | 冒険 | 世界五大陸最高峰登頂など数々の前人未到の冒険(没後受賞) |
| 1989年 | 美空ひばり | 音楽 | 数々の名曲で戦後日本を勇気づけた歌謡界の女王(没後受賞) |
| 1989年 | 千代の富士貢 | 大相撲 | 大相撲通算最多勝(当時1045勝)記録達成 |
| 1992年 | 藤山一郎 | 声楽・歌手 | 端正な歌唱で国民に親しまれた名曲の数々を歌唱 |
| 1992年 | 長谷川一夫 | 俳優 | 映画・演劇界に不滅の足跡を残した大スター(没後受賞) |
| 1996年 | 渥美清 | 俳優 | 映画『男はつらいよ』寅さん役で国民的人気を獲得(没後受賞) |
| 1998年 | 黒澤明 | 映画監督 | 世界映画史に輝く不朽の名作を数多く創出(没後受賞) |
| 2000年 | 高橋尚子 | マラソン | シドニー五輪女子マラソン金メダル獲得(女子陸上界初) |
| 2009年 | 遠藤実 | 作曲 | 5000曲以上を作曲し大衆音楽の発展に寄与(没後受賞) |
| 2009年 | 森光子 | 女優 | 舞台『放浪記』2000回単独主演の金字塔 |
| 2009年 | 森繁久彌 | 俳優 | 芸能界の牽引者として幅広いジャンルで活躍(没後受賞) |
| 2011年 | サッカー日本女子代表(なでしこジャパン) | サッカー | FIFA女子W杯ドイツ大会初優勝(団体初受賞) |
| 2012年 | 吉田沙保里 | レスリング | 世界大会13連覇(五輪3連覇+世界選手権10連覇) |
| 2013年 | 長嶋茂雄 / 松井秀喜 | プロ野球 | 長嶋氏:プロ野球の発展と社会への活力提供 / 松井氏:日米での歴史的活躍(同時授与) |
| 2016年 | 伊調馨 | レスリング | 五輪個人種目女子前人未到の4連覇達成 |
| 2018年 | 羽生善治 / 井山裕太 | 将棋 / 囲碁 | 羽生氏:永世七冠達成 / 井山氏:囲碁史上初の七冠独占2度達成 |
| 2018年 | 羽生結弦 | フィギュアスケート | 五輪男子シングル66年ぶりの2連覇達成(個人最年少受賞) |
| 2023年 | 国枝慎吾 | 車いすテニス | 四大大会+パラリンピックを制する「生涯ゴールデンスラム」達成 |
王貞治から羽生結弦まで|最年少記録や歴史的ハイライト
国民栄誉賞の歴史において、ひときわ際立つマイルストーンが存在します。まず第1号受賞者の王貞治氏は、1977年9月に当時の世界新記録となる通算756号本塁打を放った際、「その偉業を称えるにふさわしい賞が国に存在しない」という理由から、時の首相・福田赳夫氏の発案で賞そのものが新設されました。
また、2018年に平昌冬季五輪で男子シングル66年ぶりの連覇を達成した羽生結弦氏は、23歳という個人歴代最年少記録で受賞。それまでの最年少記録であった2000年の高橋尚子氏(当時28歳)を大幅に更新しました。被災地への継続的な支援や社会貢献の姿勢も高く評価され、記念品の受け取りを辞退して「国民の皆様への感謝」を行動で示したことも語り草となっています。
さらに2011年には、東日本大震災直後の日本に勇気を与えたサッカー日本女子代表「なでしこジャパン」が、団体として史上初となる受賞を果たしました。
実は辞退した4人の真相|イチローや福本豊が固辞した決定打
日本最高峰の栄誉とされながらも、打診を固辞した人物が過去に4名(3名+1遺族)存在します。彼らはなぜ名誉ある栄冠を辞退したのか、その裏にはプロフェッショナルとしての強烈な美学がありました。
① 福本豊(元阪急ブレーブス・1983年打診)
通算盗塁世界記録(当時939盗塁)を樹立した際、政府から授与の意向が打診されましたが、福本氏は「そんなもんもろたら、立ちションもでけへんようになる」という関西人らしい名言とともに辞退。本人は後に「自分のような一野球人がもらうような身分ではない」「プレッシャーで普段通りの生活ができなくなる」という謙虚な思いがあったと明かしています。
② 古関裕而の遺族(作曲家・1989年打診)
『栄冠は君に輝く』『六甲おろし』などを手掛けた国民的作曲家の古関氏。没後の授与が検討されましたが、遺族が辞退しました。生前、本人が名誉や賞の類いに執着せず、静かに音楽と向き合い続けた生き方を尊重した判断とされています。
③ イチロー(元メジャーリーガー・2001年、2004年、2019年打診)
イチロー氏は、史上最多となる通算3度の打診をすべて辞退しています。2001年(MLB新人王&MVP)と2004年(MLB年間最多安打記録)の際は「現役選手であるうちは、自分への戒めやモチベーションのために受け取れない」として固辞。そして2019年の現役引退時にも「人生の幕を下ろすときにいただけるよう、これからの人生を励みたい」という強い意志を伝えて辞退しました。生涯現役の挑戦者であり続けたいという孤高のプロ意識が背景にあります。
④ 落合博満(元中日ドラゴンズ監督・1986年打診)
2年連続3度目の三冠王を獲得した1986年に打診があったとされていますが、「まだ現役で先がある」「自分の力だけでなくチーム全体の成果」として固辞したと報じられています。
授与基準と選考の舞台裏|賞金ゼロでも豪華な「記念品」の中身
国民栄誉賞は、法的な表彰制度ではなく「内閣総理大臣表彰」の規定に基づく特別賞です。その本質的な授与基準は、以下のように定められています。
【国民栄誉賞の基本基準】
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を讃えること」
具体的な数値基準(五輪金メダル数や本塁打数など)は明文化されておらず、世論の動向や時の内閣の政治的判断が色濃く反映されるのが特徴です。有識者の意見聴取を経て、最終的に内閣総理大臣が決裁します。
意外と知られていないのが賞金事情です。国民栄誉賞に現金としての賞金は一切支給されません(0円)。その代わり、表彰状と盾、そして「約100万円相当の記念品(副賞)」が贈呈されます。
この記念品は受賞者の要望や個性を踏まえてオーダーメイドされるケースが多く、長嶋茂雄氏・松井秀喜氏には「輪島塗の特注バット」、吉田沙保里氏・伊調馨氏には「ゴールドの高級宝飾品や真珠」、羽生善治氏・井山裕太氏には「伝統工芸品の硯や碁盤」が贈られました。
【2026年展望】国民栄誉賞の次なる候補者と最新トレンド
2020年代以降、日本のエンタメ・スポーツ界では世界規模の歴史的快挙が続いており、国民栄誉賞の次なる候補者への関心は常に高まっています。
筆頭格として名前が挙がり続けるのが大谷翔平選手です。MLBにおける前人未到の投打二刀流でのMVP獲得、日本人初のホームラン王や「50-50(本塁打・盗塁)」達成など、その実績は過去の受賞者と比べても比肩するものはありません。しかし、大谷選手自身がイチロー氏と同様に「現役選手としての高み」を追求していることから、現役引退まで授与は見送られる可能性が高いと見られています。
また、アニメ・映画・現代カルチャー界で世界的な評価を確立したクリエイターや、パラスポーツの発展に寄与した先駆者たちにも選考の視野が広がっており、国民栄誉賞の枠組み自体が時代とともに進化を遂げています。
【国民栄誉賞】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:国民栄誉賞と文化勲章や紫綬褒章との違いは何ですか?
A1:紫綬褒章や文化勲章は「栄典制度(国家による公式な叙勲・褒章)」であり、皇居での親授式などを経て授与されます。一方、国民栄誉賞は内閣総理大臣が独自に表彰する行政措置(内閣総理大臣表彰の一種)であり、授与式は首相官邸で行われます。
Q2:グループや外国人でも受賞できますか?
A2:グループの受賞は可能です(2011年サッカー日本女子代表の実績あり)。国籍要件については「日本国籍」に限定する明確な条文はありませんが、過去の受賞者は全員日本国籍を保持しています。
Q3:なぜ国民栄誉賞に賞金が出ないのですか?
A3:国の予算規定および栄誉そのものを純粋に称えるという趣旨から、金銭の直接授与は行われていません。ただし、歴史的価値の高い特注の伝統工芸品などが副賞(記念品)として贈呈されます。
1977年の創設から現在に至るまで、国民栄誉賞は単なる功績の表彰にとどまらず、日本社会がその時代に何を尊び、どのような希望を求めていたかを映し出す「時代の鏡」として機能してきました。
快挙を成し遂げて栄誉を手にした者、そして自身の美学を貫いて打診を断った者――そのどちらの選択にも、トッププロフェッショナルとしての崇高な矜持が宿っています。今後どのような偉人が新たな栄光の歴史を刻むのか、動向から目が離せません。