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この道を行けばどうなるものか真の作者は?猪木名言の全文と真相

星野 楓 星野 楓 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
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迷いや葛藤を抱えたとき、背中を力強く押してくれるフレーズとして、世代を超えて愛され続ける言葉があります。元プロレスラーで参議院議員としても活躍したアントニオ猪木氏が残した「この道を行けばどうなるものか」から始まる名言です。

猪木氏の代名詞としてあまりに有名なこの詩ですが、長らく信じられてきた「室町時代の僧侶・一休宗純(一休禅師)の言葉」という説には、決定的な事実誤認が存在します。2026年の現在でもビジネスや挑戦の指針として引用されるこの名句について、正式な全文、真の作者、そして伝説のスピーチに至った言葉の真相を徹底取材の視点から紐解きます。

【全文掲載】「この道を行けばどうなるものか」に続く言葉と魂のフレーズ

この道を行けばどうなるものか

テレビ番組の特集やスポーツの名場面、さらには企業の入社式などでも頻繁に引用されるこのフレーズですが、その「続き」を正確に暗記している人は意外と少ない可能性があります。猪木氏がリング上で絶叫し、東京ドームを揺らした名言の全文は以下の通りです。

「この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
ありがとーっ!」

冒頭の問いかけに対して、「危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし」と力強く警告し、躊躇する心を戒めます。そして、歩みを進める一歩そのものが未来を創り出すのだと説き、最後の「迷わず行けよ 行けばわかるさ」で一気に聴衆の情熱を爆発させる構成になっています。理屈ではなく直感と覚悟を促す言葉の並びは、まさに格闘界の巨人が残した唯一無二の遺産です。

一休宗純ではなかった?真の作者「清沢哲平」と原詩『道』の真相

この詩に関して最も多くの人が驚く事実が、「作者は一休和尚ではない」という点です。猪木氏自身も現役時代や引退当初、「一休禅師の遺言である」と公の場で語っていたため、大手メディアや出版物でも長年にわたって一休宗純の詩として紹介されてきました。

しかし、仏教学者や文筆家による綿密な調査の結果、真の作者は明治から昭和にかけて生きた宗教家・哲学者であり、真宗大谷派の僧侶でもあった清沢哲平(きよさわ てっぺい)氏であることが判明しています。

清沢哲平氏が遺した詩集や法話録の中に、まさにその原典となる詩『道』が収められています。仏教界の偉人である清沢満之の血縁でもある哲平氏が、人生の深淵を見つめるなかで紡ぎ出した精神の言葉でした。歴史上の人物である一休宗純の破天荒なエピソードと結びつきやすかったことから、いつの間にか「一休の言葉」として流布してしまったというのが、長年放置されていた名言の由来と経緯における最大の真相です。

原詩と猪木版の違いを比較分析|言葉の改変に宿る生きたメッセージ

清沢哲平氏が遺した原詩『道』と、アントニオ猪木氏が口にしたバージョンを比較すると、興味深い表現の違いが浮き彫りになります。清沢氏による本来の原詩は、次のような文面でした。

「この道を行けばどうなるのかと危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
ふみ出せばその一足が道となる
その一足が道である
わからぬ道を行く事なかれ
行けばわかるよ」

注目すべきは後半の一節です。原詩では「その一足が道である」と静かに存在を肯定し、結びも「わからぬ道を行く事なかれ 行けばわかるよ」と、仏教者らしい静かな諭しになっています。一方、猪木版では「その一足が道となる」を力強くリフレインさせ、後半を「迷わず行けよ 行けばわかるさ」と、極めて能動的で鼓舞する口調へと昇華させています。

この変化は単なる覚え違いにとどまらず、修羅場をくぐり抜けてきた格闘家ならではの身体感覚が言葉に血肉を与えた結果と評価できます。哲学的思索であった詩が、猪木という表現者を通すことで、全人類の闘志を奮い立たせるアンセムへと進化したのです。

1998年4月4日東京ドーム|猪木引退スピーチで刻まれた伝説

この言葉が日本人の記憶に決定的に刻まれた瞬間は、1998年4月4日に開催された東京ドームでの引退興行「ファイナル・ドーム」でした。7万人を超える超満員の観衆が見守るなか、ドン・フライ選手との引退試合に勝利した猪木氏は、マイクを握ってファンに向けた最後のメッセージを語り始めました。

引退セレモニーの終盤、静まり返る巨大なドーム空間に響き渡ったのが、「この道を行けばどうなるものか」の朗読でした。現役生活への決別、そして未知のセカンドキャリアへ足を踏み出す自身の覚悟を重ね合わせたスピーチは、会場にいたファンのみならず、テレビ中継を見守っていた全国数百万人の心を激しく揺さぶりました。

リングを去る男が放った最後の雄叫びは、プロレスというジャンルの垣根を軽々と飛び越え、平成から令和へと語り継がれる昭和・平成カルチャーの金字塔となりました。

「迷わず行けよ、行けばわかるさ」言葉が持つ深い意味と本質

この名言が今なお色褪せない理由は、人間の根源的な恐怖である「未来への不確実性」に明確な答えを提示しているからです。どれほど入念に計画を立てても、未知の領域に挑む際には「この道を進んで本当に大丈夫だろうか」という疑念や恐れがつきまといます。

詩の核心は、「考えてから動くのではなく、動くことによって初めて道が作られる」という実践哲学にあります。踏み出す前にはどこにも道など存在せず、自分の足が地面に着地した瞬間、それが自分だけの軌跡=道になるという力強い論理です。

頭の中でリスクを数え上げ、足がすくんでしまうすべての人々に対して、「危ぶむなかれ」「行けばわかるさ」という極めて明快な一言が、理屈を超えた行動への勇気を与えてくれます。

【この道を行けばどうなるものか】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:「この道を行けばどうなるものか」の作者は一休和尚だと本で読みましたが、間違いですか?
A1:明確な間違いです。長年、一休宗純(一休禅師)の言葉として流布していましたが、真宗大谷派の僧侶・宗教家である清沢哲平氏の詩『道』が正式な原典であることが確定しています。

Q2:アントニオ猪木氏はどこでこの詩を知ったのですか?
A2:諸説ありますが、猪木氏の熱心なファンや知人関係者から贈られた揮毫(色紙)にこの詩が書かれており、それに深く感銘を受けた猪木氏が座右の銘として愛読するようになった経緯が有力視されています。当時から色紙には一休の言葉として記されていたため、猪木氏自身も長らく一休作と信じて引用していました。

Q3:ビジネスや日常生活で座右の銘として引用しても問題ありませんか?
A3:全く問題ありません。新規事業の立ち上げ、転職、独立、資格試験への挑戦など、前例のない道へ踏み出す際の精神的支柱として、多くの経営者やアスリートが今も好んで引用しています。

「この道を行けばどうなるものか」という問いかけは、時代が目まぐるしく変化し、将来の予測が困難な現代において、ますます切実な響きを持っています。真の作者である清沢哲平氏の深い思索と、それを魂の叫びとして日本中に届かせたアントニオ猪木氏の情熱。ふたつの個性が交差したことで、この詩は時代を超える生命力を得ました。

正解が用意されていない人生の岐路に立たされたとき、私たちに必要なのは過剰な分析ではなく、確固たる覚悟を持った「最初の一足」です。迷いを断ち切り、自らの足で大地を踏みしめた者にだけ、その先の景色が見えてきます。

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