1970年代から1980年代にかけて、韓国・釜山(プサン)の福祉施設で繰り広げられた前代未聞の大規模人権蹂躙、それが「兄弟福祉院事件」です。「路上から浮浪者を一掃する」という美名のもと、罪のない一般市民や幼い子どもたちが次々と拉致同然に連行され、暴力と強制労働が日常化する隔離施設へと送られました。
長きにわたり軍事政権の闇に葬られてきたこの悲劇は、被害者たちの命がけの告発と真相究明運動によって風化を免れ、近年ついに国家の不法行為を認める司法判断が相次いでいます。凄惨を極めた事件の背景から、現在の国家賠償をめぐる動きまで、私たちが直視すべき全貌を紐解きます。
釜山北区にかつて存在した「兄弟福祉院」は、名目上は浮浪者や孤児を保護・更生させる社会福祉法人でした。しかし、その内実は高い塀と鉄条網で外界から完全に遮断された「現代の強制収容所」そのものでした。
事件の発端は1975年、内務部(現・行政安全部)が発令した「訓令410号」に遡ります。警察や自治体には浮浪者を施設に収容する強大な権限が与えられ、路上で家族を待っていただけの子ども、終電を逃した会社員、身分証を持たずに歩いていた一般市民までもが無差別に標的となりました。
施設内では軍隊式の階級制度が敷かれ、脱走を試みた者には容赦のない制裁が加えられました。1987年に検察の捜査で実態が暴かれるまでの約12年間で、延べ3万人以上が収容されたと推計されています。外界の助けを求める叫びは封殺され、施設はまさに地獄絵図と化していました。
【なぜ起きたのか】五輪招致の裏で行われた「浮浪者浄化」と国家の思惑
国家主導でこれほど大規模な人権侵害がなぜ起きたのか、その背景には当時の韓国社会を取り巻く政治的思惑がありました。全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事政権は、1986年のソウル・アジア競技大会や1988年のソウルオリンピックを控え、海外に「発展した近代国家」をアピールすることに躍起になっていたのです。
都市の美観を損ねる存在とみなされたホームレスや路上生活者、障害者は、社会の片隅から強制的に排除されました。行政は治安維持と都市浄化の実績作りを焦り、民間施設への収容を強力に推進しました。
さらに問題を悪化させたのが頭割りで支給される巨額の国庫補助金です。収容者の数がそのまま施設の利益に直結する仕組みであったため、定員を増やす目的で街中からの「人間狩り」が横行することになりました。国家の威信と民間の金銭欲が結託した結果、凄惨な悲劇の土壌が完成したのです。
【地獄の実態】強制労働・暴力・死者数500人超…隠蔽された人権侵害の深層
兄弟福祉院の内部で横行していた人権侵害の実態は、人間の尊厳を極限まで踏みにじるものでした。収容者は過酷な無給労働に従事させられ、施設内の建設作業や製品工場で酷使されました。
反抗的な態度を取れば、日常的に集団暴行や拷問が加えられ、女性や児童に対する性暴力も常態化していました。精神を錯乱させる薬物の強制投与も行われていたと証言されています。
施設内で確認された死亡者数は公式記録だけで513人に上ります。しかし、遺体が解剖実習用として医科大学へ売却された事例や、裏山に不法埋葬されたケースも指摘されており、実際の犠牲者は公表数を大幅に上回るとみられています。命を落とした収容者の多くは「病死」や「衰弱死」として処理され、遺族への連絡すら満足に行われませんでした。
【黒幕の正体】院長・朴仁根の蓄財と政権癒着|なぜ処罰を逃れ続けたのか
この巨大な収容所を支配していたのが、兄弟福祉院の院長を務めた朴仁根(パク・イングン)です。朴は軍部や政界の実力者と太いパイプを築き、福祉事業の功労者として国家勲章(国民勲章冬柏章など)を授与されるなど、表社会では「福祉の父」として称賛されていました。
1987年、偶然施設を発見した若手検事の捜査によって朴は逮捕されます。しかし、政権上層部からの強い圧力により捜査は矮小化され、殺人や不法監禁といった重大な罪は問われませんでした。
結果として朴に下された判決は、業務上横領や建築法違反などによるわずか懲役2年6か月の軽微なものでした。出所後も一族は巨額の資産を保持し続け、別の福祉法人やスポーツ施設を運営するなど贅沢な暮らしを謳歌した一方、心身を破壊された被害者たちは長年にわたり貧困と後遺症に苦しみ続けました。
【真相究明の歩み】真実和解委員会の認定から韓国最高裁の再審判断まで
事件が再び歴史の表舞台に浮上したのは、生き残った被害者たちの不屈の告発によるものです。被害者の代表であるハン・ジョンソン氏をはじめとする当事者たちが国会前での野宿座り込みなどを続け、世論を大きく動かしました。
2020年、過去の国家暴力を調査する公的機関「真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委員会)」が再稼働し、兄弟福祉院事件を国家による重大な人権侵害事件として正式に調査を開始しました。2022年には「国の違法な公権力行使によって基本的権利が侵害された」とする調査結果を発表し、国家の謝罪と被害救済を勧告しました。
また、司法の場においても、検察総長による非常上告を経て、韓国の最高裁判所(大法院)はかつて朴院長らの不法監禁罪を無罪とした判決について法令違反を認定。国家権力が敷いた不当な訓令の違法性を明確に認めました。
【現在の状況と国家賠償判決】被害者への補償と今なお残るトラウマの行方
2023年以降、ソウル中央地裁や釜山地裁において、被害者たちが国を相手取って起こした損害賠償請求訴訟で国家賠償判決が相次いで言い渡されています。裁判所は国に対し、原告一人あたり数千万〜数億ウォン規模の慰謝料支払いを命じました。
半世紀近い年月を経てようやく司法による救済が現実のものとなりつつありますが、現在の状況がすべて解決したわけではありません。多くの被害者が現在も深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)、身体の障害、経済的困窮に直面しています。
被害者団体は、金銭的な賠償にとどまらず、国立のトラウマ治癒センターの拡充や、事件の記憶を後世に伝える記念館の設立、埋葬地の本格的な遺骨発掘調査を強く求め続けています。
【兄弟福祉院事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:兄弟福祉院事件の被害者は何人くらいいたのですか?
A1:1975年から1987年の間に施設へ強制収容された人数は、延べ3万人以上に達すると推定されています。犠牲者数は公式記録だけでも513名とされていますが、隠蔽された死を含めると実数はさらに多いとみられています。
Q2:映画やドラマの題材にもなっていますか?
A2:韓国の報道告発番組『それが知りたい』などで幾度も特集されたほか、Netflixのサバイバルドラマ『イカゲーム』に登場する過酷な監視社会の描写などにも、兄弟福祉院をはじめとする過去の隔離施設の影が投影されていると指摘されています。
Q3:なぜ一般の市民まで施設に連れて行かれたのですか?
A3:当時の軍事政権が定めた内務部訓令410号により、警察や自治体に「浮浪者」とみなした人物を令状なしで収容する裁量権が与えられていたためです。さらに収容者数に応じた補助金制度があったため、手当たり次第に市民を拘束する乱暴な運用が行われました。
兄弟福祉院事件は、国家が「治安」や「都市の美観」を理由に個人の自由と尊厳をいかに容易く奪い去ることができるかを示す、痛烈な歴史の教訓です。
国家賠償の判決が下された今も、失われた命や奪われた人生の時間が元に戻ることはありません。過去の暗部をタブー視せず、過ちを認めて記録し続けることこそが、二度と同様の暴挙を繰り返さないための唯一の道筋といえます。