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指圧の祖・浪越徳治郎の生涯と伝説!マリリンを救った真相と死因

夏目 恋 夏目 恋 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
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豪快な笑い声とともに「アッハッハ、指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」のフレーズでお茶の間を席巻した浪越徳治郎(なみこし とくじろう)。昭和から平成のテレビ界で「ジェット浪越」の愛称で親しまれた彼は、単なるタレントではなく、日本発祥の手技療法である「指圧(SHIATSU)」を世界共通語へと押し上げた不世出の開拓者でした。

ハリウッド女優マリリン・モンローの急病を救い、ボクシング世界王者モハメド・アリの肉体を癒やすなど、数々の世界的スターを顧客に持った伝説の持ち主でもあります。94年におよぶ波乱万丈の生涯、語り継がれる奇跡のエピソード、そして後世に遺した医療的・文化的な功績の全貌を紐解きます。

【波乱万丈の経歴】母の手当てから始まった「浪越指圧療法」の原点

浪越徳治郎

浪越徳治郎は1905年(明治38年)11月3日、香川県多度津町に生まれました。幼少期の1912年、一家で北海道虻田郡留寿都(るすつ)村へ開拓民として移住しますが、この北の大地での過酷な暮らしが彼の運命を大きく変えることになります。

極寒の環境と重労働により、母・マサが全身の痛みを訴える多発性関節リウマチを発症。当時、開拓地には医者も薬もなく、わずか7歳だった徳治郎少年は、少しでも母の苦しみを和らげようと無我夢中で母の身体をさすり、揉み続けました。

試行錯誤を重ねるなかで、手のひらで撫でるよりも親指で特定の部位に持続的な圧を加えるほうが痛みを和らげる効果が高いことを発見します。母の「徳治郎の手は気持ちがいい、痛みが引いていくよ」という言葉に励まされ、数年の手当てを続けた結果、母のリウマチをほぼ完治させる奇跡を起こしました。

この原体験こそが、のちに確立される「浪越指圧療法」の原点であり、彼の生涯を貫く不朽の名言「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」の源流となったのです。

【世界を驚かせた伝説】マリリン・モンローとモハメド・アリを救った施術秘話

上京後の徳治郎は手技療法の科学的研究を重ね、1940年に日本指圧専門学校(現・学校法人浪越学園)を創設。西洋医学の解剖生理学に基づいた「指圧」の体系化と法制化を推進し、その卓越した手技は海外からの要人にも知れ渡るようになります。

数ある武勇伝のなかでも最も有名なのが、1954年(昭和29年)2月のマリリン・モンロー来日時のエピソードです。新婚旅行で元大リーガーのジョー・ディマジオとともに東京の帝国ホテルに滞在していたモンローは、過密日程と激しい胃痙攣、高熱によって完全にダウンしていました。

アメリカ人主治医もお手上げの状態のなか、ホテル側の要請で急遽駆けつけたのが徳治郎でした。言葉が通じないなか、徳治郎はモンローをリラックスさせ、当時としては異例だった「素肌への直接指圧」を全身にくまなく施します。胃の経穴や自律神経を整える的確なアプローチにより、モンローの体調は短時間で劇的に回復。翌日には元気に公務へ復帰し、世界中のメディアを驚嘆させました。

さらに1976年、格闘技世界一決定戦でアントニオ猪木と死闘を演じたボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリが、猪木のキックで負傷した脚の治療を依頼したのも徳治郎でした。国内外の著名人を次々と癒やした腕前は、海外で「SHIATSU」の名を急速に定着させる決定打となりました。

【お茶の間の大スター】『元気が出るテレビ!!』と「ジェット浪越」

1980年代半ば、徳治郎はテレビ界でも大きな脚光を浴びることになります。日本テレビ系の伝説的バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』への出演がきっかけでした。

ビートたけしから命名された「ジェット浪越」のキャラクターで登場し、トレードマークの白のスーツと満面の笑みで「アッハッハ」と高笑いしながら街の人々やタレントに指圧を繰り出す姿は、老若男女から絶大な支持を集めました。

一見コミカルな振る舞いの裏には、「指圧という素晴らしい日本の手当て療法を、敷居を下げてあらゆる世代に知ってもらいたい」という計算された情熱がありました。テレビを通じて自身の健康法を広め、指圧を単なる民間療法ではなく、国民的な健康文化として親しまれる存在へと昇華させたのです。

【家族と家系図】技術と精神を受け継ぐ「浪越一族」の後継者たち

浪越徳治郎が築き上げた指圧の帝国は、強力な家族の絆によって強固に守られ、発展してきました。

長男の浪越徹(とおる)氏は、父の右腕として日本指圧専門学校の副校長や日本指圧協会会長を務め、指圧の医学的理論の確立と海外普及を主導。息子の徹氏自身も多くの著作を残し、学術的な側面から指圧の地位向上に貢献しました。

さらに家系図を辿ると、孫世代にあたる浪越孝(たかし)氏や浪越徳彦(のりひこ)氏らも指圧師・指導者として活動。日本指圧専門学校を中心とする学校法人浪越学園からは、現在に至るまで数多くの国家資格(あん摩マッサージ指圧師)保持者が輩出され、世界各地で浪越の「母心」の精神を実践しています。

【94年の生涯と死因の真相】最期まで笑顔を貫いた生涯現役の幕引き

生涯を通じて自ら指圧を行い、驚異的な若々しさと体力を保ち続けた徳治郎でしたが、2000年に入ると体調を崩しがちになります。

2000年(平成12年)9月25日午前3時47分、東京都文京区の病院で逝去。享年94(満94歳没)でした。公式に発表された死因は「肺炎」です。

亡くなる直前まで周囲への感謝と笑顔を絶やさず、まさに「押せば命の泉湧く」を自らの長い人生で体現した大往生でした。告別式には政財界、芸能界、医療関係者をはじめ数千人の会葬者が訪れ、指圧界の巨星の旅立ちを悼みました。

【浪越徳治郎】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:マリリン・モンローへの施術時、本当に素肌に直接触れたのですか?
A1:事実です。通常、指圧は衣服の上から行いますが、モンローの重篤な症状を短時間で鎮めるため、徳治郎は素肌に直接圧を加える緊急施術を行いました。このとき徳治郎が一切の邪念なく、真摯に治療に専念したことでモンローから深い信頼を得たと言われています。

Q2:浪越徳治郎が創設した学校は今もありますか?
A2:現在も東京都文京区小石川に「日本指圧専門学校」として存続しています。あん摩マッサージ指圧師の国家資格取得を目指す専門機関として、日本国内のみならず世界中から留学生が集まる指圧の総本山です。

Q3:指圧・マッサージ・整体の違いは何ですか?
A3:指圧(浪越指圧など)は「母指や手掌を用いて生体各部を圧迫し、自然治癒力を高める」手技で、国家資格(あん摩マッサージ指圧師)に基づく医療類似行為です。求心的に揉む「マッサージ」や、関節を矯正する民間療法(無資格手技を含む)の「整体」とは、手技の原理や法的位置づけが異なります。

北海道の極寒の地で母を救うために始まった少年の小さな手当ては、やがて国境を越え、世界のVIPや何千万人もの人々を癒やす一大医療文化へと結実しました。

「指圧の心は母心」という言葉には、技術の優劣以上に「相手を思いやり、苦痛を取り除きたい」という純粋な人間愛が込められています。医療技術やAIが高度に発達した現代においても、人の手による温もりの価値を説き続けた浪越徳治郎の哲学は、色褪せることなく受け継がれています。

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