日本最古の歌集『万葉集』の中でも、ひときわ生々しい人間味とユーモアを放ち、千三百年を経た今も多くの共感を呼んでいる名歌が、山上憶良の「憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむぞ」です。高校の古典の授業でこの歌に触れ、「職場の飲み会を子どもの面倒を理由に堂々と抜け出すなんて、なんて現代的な感覚なのだろう」と鮮烈な印象を抱いた方も少なくないでしょう。
地方長官の邸宅で開かれた格式高い大宴会の最中、主賓格であった山上憶良はなぜ、座を白けさせることなくこの歌を詠んで退出できたのか。単なるマイペースな家庭第一主義だったのか、それとも貴族社会の礼節を逆手にとった極めて高度な社交術だったのか。本稿では、品詞分解や文法の核心を押さえつつ、歴史の現場で交わされた人間関係の真相まで深く掘り下げていきます。
【名歌の全貌】万葉集 巻3・337「憶良らは今は罷らむ」の原文と現代語訳

まずは、歌の全体像を正確に把握しておきましょう。この歌は『万葉集』巻3・337に収録されており、短歌の後に添えられた詞書(ことばがき)や左注からも、当時の宴席の空気感がリアルに伝わってきます。
【原文(万葉仮名)】
憶良等者 今者将罷 子将泣 其彼母毛 吾乎将待曽
【訓読文】
憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ
(おくららは いまはまからむ こなくらむ それそのははも われをまつらむぞ)
【万葉集 現代語訳】
「憶良めは、もうこれでお暇(いとま)いたしましょう。家では幼い子どもが泣いているでしょうし、その子の母親(=私の妻)もまた、私の帰りを今か今かと待っているに違いありませんから。」
結びの「ぞ」による強い余韻と、自分の名前をあえて客観的に「憶良らは」と提示する滑稽味が、この歌のリズムを極めて軽快なものに仕立てています。
【古文 テスト対策】品詞分解と文法解説|助動詞「らむ」「む」の識別と「罷らむ 意味」
高校古典の定期テストや大学入試対策において、この一首は助動詞の識別や敬語の方向を問う格好の頻出題材です。各句の構造を品詞単位で精緻に分解して確認します。
【品詞分解 文法解説】
① 憶良(名詞) + ら(接尾語) + は(係助詞)
・「ら」は自称の名詞に付いて自らをへりくだる謙称(へりくだり)のニュアンスを含みます。「憶良めは」「憶良などは」という意味合いです。
② 今(名詞) + は(係助詞) + 罷ら(ラ行四段動詞「罷る」未然形) + む(意志の助動詞「む」終止形)
・罷らむの意味:「罷る(まかる)」は「退出する・おいとまする」を意味する謙譲語。主君や目上の人の前から立ち去る行為を低めることで、相手(宴席の主人である大伴旅人)に最大限の敬意を払っています。「む」は話者自身の意向を示す意志(〜しよう)です。
③ 子(名詞) + 泣く(カ行四段動詞「泣く」終止形) + らむ(現在推量の助動詞「らむ」連体形)
・助動詞らむの意味:この「らむ」は、目の前にない場所の状況を思い浮かべる現在の原因推量・現在推量(今ごろ〜しているだろう)です。留守宅で子どもが愚図っている情景を脳裏に描いています。
④ それ(指示代名詞) + その(連体詞) + 母(名詞) + も(係助詞)
・「それその母」という畳みかけるような言い回しは、単に「妻」と呼ぶよりも情愛のこもった、やや戯けた調子を帯びています。
⑤ 我(代名詞) + を(格助詞) + 待つ(タ行四段動詞「待つ」終止形) + らむ(現在推量の助動詞「らむ」連体形) + ぞ(係助詞)
・ふたたび現在推量の「らむ」が用いられ、最後の「ぞ」は文末で強く言い切る強意の係助詞(係り結びの省略、あるいは文末強調)として働いています。「きっと待っているはずだぞ」と念を押すことで、退席の決定打としています。
【憶良らは今は罷らむ 背景】大伴旅人の宴席と筑紫歌壇の特別な熱量
この歌が詠まれた歴史的背景を辿ると、当時の日本外交の最前線であった大宰府の情景が浮かび上がってきます。神亀5(728)年頃から天平2(730)年にかけて、大宰府の長官(大宰帥)として着任していたのが大伴旅人であり、その配下の筑前守(ちくぜんのかみ)を務めていたのが山上憶良でした。
都から遠く離れた九州・太宰府の地で、教養深い二人の高級官僚を中心に形成された文芸サークルは、後世に「筑紫歌壇」と呼ばれます。特に旅人は妻を亡くしたばかりで深い悲嘆に暮れており、憶良は漢詩文の知識と熱い人間味をもって旅人を精神的にも支えていました。
問題の宴席は、大伴旅人の私邸で開かれた風流な酒宴でした。官位としては大伴旅人(従三位・大納言格の大宰帥)が圧倒的な上司であり、山上憶良(従五位下・筑前守)は明確な部下です。上下関係が極めて厳格だった律令制下において、通常であれば部下が上司の宴会を中座するなど許されるはずもありません。しかし、二人の間には身分差を超えた知的な共鳴と友情が結ばれており、だからこそこの場を和ませる歌の披露が成り立ったのです。
【徹底検証】宴席を途中退席した本当の理由とは?家族愛か、老獪な口実か
読者の多くが最も関心を寄せるのは、「宴会を途中で切り上げた山上憶良の真意とは何だったのか?」という点でしょう。「本当に子どもが泣いていたから帰ったのか、それとも単に早く帰りたかっただけの言い訳なのか」という議論は、古今多くの万葉学者の間でも交わされてきました。
結論から言えば、この歌の魅力は「純粋な家族への情愛」と「大人の洗練された社交的レトリック」が完璧に表裏一体となっている点にあります。
当時、山上憶良はすでに70歳近い高齢に達していました。激務と加齢によって自身の健康も万全ではなく、長時間の酒宴に付き合い続けるのは体力的にも酷な状況でした。しかし、無骨に「年老いて疲れたので帰ります」と言えば座の興を削いでしまいます。そこで憶良が持ち出したのが、「愛しい子どもと妻が待っている」という、誰も反論できない家庭の論理でした。
『万葉集』の時代、貴族男子にとって家庭の事情、とりわけ子どもの世話を表立って口にすることは決して一般的ではありませんでした。そのタブーをあえて破り、「自分のような無骨な老いぼれでも、家では妻や子が恋しがって泣いているのです」と自虐交じりに開陳してみせたのです。宴の主催者である大伴旅人にとっても、「そこまで言われては引き止められない」と笑って送り出すしかない、完璧な潮時の演出でした。
【文学的革新】山上憶良が切り拓いた「家族愛 和歌」の特異な輝き
万葉集の全歌人を見渡しても、山上憶良ほど「家族愛」を真正面から歌い抜いた詩人は他に存在しません。当時の和歌の主流が男女の艶めかしい贈答歌や、四季の美しさを愛でる自然詠であった時代に、憶良は貧困、病、老い、そして子どもへの狂おしいほどの愛を題材に選びました。
同じく憶良の代表作である「子等を思ふ歌」の反歌、
「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」
(銀も金も宝石も、どうして何になろう。どんな宝も、我が子にまさるものがあろうか、いや、ありはしない)
この歌に見られるように、憶良にとって家族への愛情は虚飾ではなく、人生の根本を支える絶対的な価値観でした。「憶良らは今は罷らむ」に流れる響きも、単なる方便の作り話ではなく、実際に家庭を守る妻と幼い我が子に対する切実な慈しみが根底にあったからこそ、1300年後の私たちの胸にも温かい実感として響いてくるのです。
【憶良らは今は罷らむ子泣くらむ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:この歌が詠まれたとき、山上憶良の子どもは何歳くらいだったのですか?
A1:当時、憶良はすでに70歳近い高齢であったため、実子であればかなりの晩年の子(幼子)であったか、あるいは孫のような存在を指していたという説もあります。ただし、当時の文献記録や他の歌(子等を思ふ歌など)を踏まえると、実際に手のかかる幼い子どもを溺愛していたとする見解が有力です。
Q2:宴席で上司の大伴旅人は怒らなかったのでしょうか?
A2:立腹するどころか、大いに面白がり、憶良の才気と人柄を称賛したと考えられています。大伴旅人自身も漢詩文の素養が深く、機知に富んだ表現をこよなく愛する風流人でした。格式張った儀礼よりも、機知に富んだ和歌で座を収める高度なコミュニケーションとして歓迎されました。
Q3:古文のテストで「罷らむ」の「む」と「子泣くらむ」の「らむ」の違いを問われたらどう答えるべきですか?
A3:「罷らむ」の「む」は話し手の意志を表す助動詞「む」の意志用法(〜しよう)です。一方、「泣くらむ」の「らむ」は目の前にない現在の事態を推し量る助動詞「らむ」の現在推量用法(今ごろ〜しているだろう)です。主語の違いと事態の確実性の違いを明確に記述することが得点の鍵となります。
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむぞ」という短歌は、古代の格式ばった宴席というオフィシャルな空間に、愛おしい「家庭の日常」を鮮やかに滑り込ませた奇跡的な一首です。
職場での人付き合いを円滑にこなしながらも、決して家庭を蔑ろにせず、最後はユーモアをもって自分の大切な居場所へと帰っていく――。山上憶良が遺したこの言葉は、仕事と私生活のバランスに心を砕く現代を生きる私たちにとっても、最高の処世術であり、人間関係の温もりを再認識させてくれる普遍的な道標となっています。