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西郷隆盛の本当の顔とは?教科書の肖像画の秘密と写真が存在しない真相

月岡 空 月岡 空 • 更新: • 公開: • 読了約 9 分
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歴史の教科書に載っている太い眉と大きな目の肖像画、あるいは東京・上野恩賜公園で愛犬を連れて立つ巨漢の銅像。私たちが思い浮かべる「西郷隆盛」の姿は、日本人の共通認識として定着しています。しかし、驚くべきことに幕末から明治を生きた大物政治家の中で、西郷隆盛だけは本物の写真が一枚も残っていません。

「あの顔は一体誰なのか」「なぜあれほどの偉人が写真を残さなかったのか」——。長年ささやかれてきた疑問の背後には、親族の顔を合成した肖像画の制作秘話や、除幕式で妻が放った衝撃の一言、そして近年もメディアを騒がせる新写真の真偽論争が存在します。一次資料と同時代人の証言から、歴史の闇に隠された西郷隆盛の本当の顔に迫ります。

【教科書の肖像画は合成だった】キヨッソーネが描いた「作られた西郷像」

西郷隆盛本当の顔

私たちが幼い頃から見慣れている大日本帝国陸軍大将服を着た西郷隆盛の肖像画は、本人が直接ポーズをとって描かれたものではありません。この絵を手がけたのは、明治政府のお雇い外国人であったイタリア人画家、エドアルド・キヨッソーネです。

キヨッソーネが肖像画を描いたのは、西南戦争で西郷が自刃してから数年が経過した1883(明治16)年のことでした。当時、明治天皇が西郷の功績を偲び肖像画を所望されたことが制作の契機となりましたが、参照できる本人の写真がどこにもありませんでした。そこでキヨッソーネは、西郷の血縁者の顔をヒントにするという大胆な手法をとります。

使われたモデルは2人。顔の上半分(目元や額)は実弟の西郷従道、顔の下半分(鼻や口元、顎のライン)は従弟である大山巌です。キヨッソーネは2人の特徴を巧みに組み合わせ、親族や旧薩摩藩士たちの「よく似ている」という証言を取り付けながら、一枚の肖像画を完成させました。つまり、私たちが西郷隆盛だと思い込んでいる顔は、親族のパーツを掛け合わせた歴史的モンタージュ作品だったのです。

【なぜ本物の写真が1枚もないのか】写真嫌いと暗殺警戒のリアルな背景

坂本龍馬、勝海舟、大久保利通、木戸孝允など、幕末・明治の主要人物はこぞって肖像写真を残しています。当時の要人にとって写真は自身の権威を示すツールでもありました。それにもかかわらず、明治新政府の筆頭参議であり陸軍大将でもあった西郷が写真を拒み続けた背景には、切実な理由がありました。

最大の理由は、暗殺に対する徹底した警戒心です。幕末から維新期にかけては、政治的要人が次々とテロの標的になる暗殺の嵐が吹き荒れていました。顔写真を世間に広く知られることは、自らの命を危険に晒すことに直結します。西郷は自身の顔を隠蔽することで、刺客の襲撃を未然に防ごうとしていました。

加えて、西郷特有の無私無欲な性格と鹿児島武士としての美意識も影響しています。自己を顕示することを極端に嫌い、「名もいらぬ、命もいらぬ」を行動指針としていた西郷にとって、自身の姿形を後世に残すこと自体が無意味に感じられたと伝えられています。

【妻・糸子の決定的な証言】上野公園の銅像除幕式で放った「宿主はこげんな人じゃなか」

1898(明治31)年、彫刻家・高村光雲らによって制作された東京・上野恩賜公園の西郷隆盛像が完成し、盛大な除幕式が執り行われました。全国から集まった寄付によって建立されたこの巨像のお披露目会場で、予期せぬハプニングが起こります。

除幕の瞬間、幕が下りて姿を現した銅像を見た西郷の妻・西郷糸子は、隣にいた義弟の従道に向かって思わずこう呟きました。
「アラ、宿主(うちの夫)はこげんな人じゃなかっ(こんな人ではありませんでした)」

この証言は、銅像の顔が実物と大きくかけ離れていたことを示す決定的な瞬間として歴史に記録されています。糸子が指摘したのは、顔つきの違いだけではありません。普段の西郷は人前に出る際、身だしなみを整えていたにもかかわらず、庶民的な浴衣姿で散歩しているような風貌で造形されたことに対しても強い違和感を抱いたと言われています。キヨッソーネの肖像画を元に造られた銅像は、妻の目から見ても「他人の顔」だったのです。

【ネットで話題の生写真と噂の真相】フルベッキ群像写真や徳之島説を検証

「西郷隆盛の本物の生写真が存在するのではないか」という話題は、これまで何度も歴史愛好家やメディアを賑わせてきました。中でも特に有名なのが、幕末の写真家・上野彦馬が撮影したとされる「フルベッキ群像写真」と「徳之島で発見されたとされる写真」です。

佐賀藩の蘭学塾で教鞭をとっていたオランダ出身の宣教師フルベッキを囲む志士たちの集合写真(フルベッキ群像写真)には、中央付近の大柄な人物が西郷隆盛であり、周囲に坂本龍馬や明治天皇がいるという都市伝説が長年語られてきました。しかし、近年の歴史学・写真工学の徹底検証により、これは幕末の佐賀藩校「致遠館」の生徒たちを撮影したものであり、西郷隆盛は一切写っていないことが学術的に完全証明されています。

また、西郷が流刑されていた徳之島で撮影されたとされる古写真や、オークションに出品される「西郷の生写真」とされる画像も、撮影年代のズレや被写体の骨格の違いから、いずれも決定打とはなっていません。現在に至るまで、専門家の鑑定をクリアした本物の写真は1枚も確認されていないのが厳然たる事実です。

【最新研究で判明した人相と肉声】同時代人の記録から浮かび上がる真の容貌

写真が存在しないのであれば、本物の西郷隆盛はどのような顔立ちをしていたのでしょうか。明治の要人や、西郷と直に接した同時代人の克明な回想録から、その真の人相的特徴が浮かび上がってきます。

数多くの証言に共通しているのは、「並外れた眼光の強さ」と「圧倒的な体躯」です。元勲・大隈重信は「西郷の目は黒目がちで大きく、人を射すくめるような光を放っていたが、不思議と威圧感の中に温かみがあった」と述懐しています。また、勝海舟も「度量が大きく、底知れない怪物のような迫力があった」と語っています。

残された服飾品や遺品、同時代人の計測データから判明している西郷の身体特徴は以下の通りです。

  • 体格:身長約178〜180cm、体重100〜110kg前後の大柄な体躯(当時の日本人男性の平均身長が約158cmだった時代において突出した巨漢)。
  • 目元:ギョロリとした大きな二重まぶたで、眼球が突出気味(甲状腺の持病の影響とも言われる)。
  • 輪郭・皮膚:色黒で浅黒く、首が太く肩幅が広い。耳たぶが大きく垂れ下がった、いわゆる「福耳」。

最新の研究では、キヨッソーネの肖像画よりも「さらに骨太で、鋭い眼光を持ちながらもどこか寂しげな表情をたたえた人物」であった可能性が高いと推測されています。

【西郷 隆盛 本当 の 顔】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:なぜエドアルド・キヨッソーネは西郷隆盛の肖像画を合成して描いたのですか?
A1:明治政府から西郷の公式肖像画を依頼された際、参照できる本人の写真が1枚も存在しなかったためです。そこでキヨッソーネは、顔立ちが似ていた実弟の西郷従道(上半分)と従弟の大山巌(下半分)をモデルにしてデッサンを重ね、関係者の記憶を頼りに合成して仕上げました。

Q2:妻の糸子さんは上野の銅像を見てなぜ怒ったのですか?
A2:顔が実物と似ていなかったことに加え、普段は礼儀や服装を重んじていた西郷が、人前で見せることのなかった「浴衣姿で犬を連れたラフな姿」で銅像にされたことにショックを受けたためです。

Q3:今後、西郷隆盛の本物の生写真が発見される可能性はありますか?
A3:可能性はゼロではありませんが極めて低いとされています。西郷本人が写真を撮られることを固く拒否していたため、未発見の写真がどこかに眠っている確率は極めて低く、現在出回っているものは別人の誤認がほとんどです。

教科書でおなじみの西郷隆盛の肖像画は、親族の顔をベースに描かれた「作られたイメージ」でした。本物の写真が一枚も残されていないという事実こそが、己を誇示せず、激動の時代を命がけで駆け抜けた西郷隆盛という人物のリアリティを物語っています。

一枚の写真がないからこそ、同時代を生きた人々の熱い証言が今も色あせず、私たちの中で生き続けています。上野の銅像や教科書の絵を見る機会があれば、その背後に隠された激動のドラマと、歴史に消えた「真の顔」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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