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藤原ヒロシとNIGOの関係性|名前の由来と不仲説の真相から現在まで

安藤 澪 安藤 澪 • 更新: • 公開: • 読了約 10 分
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1990年代、東京・原宿の片隅から巻き起こり、世界中のストリートファッションを塗り替えた「裏原カルチャー」。その中心に君臨したのが、“ストリートのゴッドファーザー”と称される藤原ヒロシと、のちに「A BATHING APE(BAPE)」を世界規模のメガブランドへと押し上げたNIGOです。

師弟関係とも盟友とも評される二人ですが、その出会いは「藤原ヒロシ2号」というユーモラスな愛称から始まりました。その後、互いに異なるクリエイティブの道を歩む中で幾度となく囁かれた「不仲説」の真相や、ラグジュアリーとストリートの境界を壊し尽くした現在の関係性、そして気になる資産規模まで、関係者への取材や過去の対談記録を紐解きながら解説します。

【名前の由来】なぜ「NIGO」なのか?藤原ヒロシ2号と呼ばれた運命の出会い

藤原ヒロシnigo

現在では世界的なファッションデザイナーとして知られるNIGO(本名:長尾智明)ですが、そのキャリアの原点はまさに藤原ヒロシへの憧れからスタートしています。文化服装学院在学中、当時すでにカルチャーアイコンとして絶大な影響力を持っていた藤原ヒロシの存在を雑誌で知ったNIGOは、原宿の街へと足繁く通い始めました。

二人の接点が生まれたのは、原宿にあった伝説のショップ「アストロストア」です。店長の高石大樹氏が、店に出入りしていたNIGOの顔立ちや雰囲気が藤原ヒロシにあまりに似ていたことから、「ヒロシくんにそっくりだから、今日からお前は“藤原ヒロシ2号”だ」と命名したことがすべての始まりでした。

単なるあだ名にとどまらず、藤原ヒロシ本人にも紹介されたことで二人の距離は急速に縮まります。当時多忙を極めていた藤原ヒロシのアシスタントやDJのサポートを務めるようになり、雑誌の連載企画「LAST ORGY 2」を共同で手がけるなど、濃密な師弟関係が築かれていきました。

【90年代・裏原カルチャーの胎動】NOWHERE開業とA BATHING APE誕生秘話

1993年、原宿の裏通りにオープンした伝説のセレクトショップ「NOWHERE(ノーウェア)」は、NIGOとUNDERCOVERの高橋盾(JONIO)が共同で立ち上げた店舗です。この出店に際しても、藤原ヒロシはバックアップを惜し最初に、資金面やコネクションを含めて若きクリエイターたちの挑戦を後押ししました。

NOWHEREの一角でスタートしたのが、グラフィックデザイナーのスケシン(Skate Thing)らと共に立ち上げた「A BATHING APE」です。藤原ヒロシが主宰していた「GOODENOUGH」の手法を学びつつ、Tシャツの生産数を絞って希少価値を高めるドロップ方式を採用。これが爆発的な熱狂を生み出し、90年代中盤から2000年代にかけて原宿に数千人の大行列を作る社会現象へと発展しました。

音楽、アート、スニーカー、トイカルチャーを融合させたこのムーブメントは、のちに「裏原宿カルチャー」として欧米のトップアーティストやデザイナーにも直撃し、世界的なカルチャーシフトの震源地となったのです。

【不仲説の真相を追う】長年囁かれた確執の噂と二人の本当の距離感

A BATHING APEが世界的な成功を収め、裏原宿カルチャーが巨大な商業マネーと結びつくにつれて、ファッショニスタの間で「藤原ヒロシとNIGOの不仲説」が囁かれるようになりました。

噂の発端は、二人の活動スタンスの決定的な違いにあります。藤原ヒロシが特定の巨大組織に属さず、小規模なプロジェクトや洗練されたキュレーションにこだわったのに対し、NIGOは直営店を世界中に展開し、エイプのロゴを前面に押し出した大規模なビジネス拡大へと舵を切りました。また、メディアでのツーショットが一時激減したことも確執の噂に拍車をかけました。

しかし、実際の関係者証言や後年の対談を検証すると、「決定的な喧嘩や絶縁があったわけではない」ことが明らかになっています。NIGO自身も「ヒロシさんの元を離れて自分の力でどこまでできるか挑戦したかった」と語っており、独り立ちに伴う自然な距離感の変化でした。事実、プライベートでの連絡や互いの展示会への訪問などは継続しており、不仲というよりは「敬意を持った大人の距離感」へと移行していたのが実情です。

【対照的なクリエイティブと経歴】fragment designとHUMAN MADEの現在地

2010年代以降、二人はそれぞれの美学を極限まで研ぎ澄ました独自のポジションを確立しています。

藤原ヒロシ率いる「fragment design(フラグメントデザイン)」は、自社で大量生産を行わず、サンダーマークのアイコンと共に世界最高峰のブランドと協業するデザインプロジェクトです。NIKE、モンクレール、マセラティ、ポケモンに至るまで、カルチャーの文脈を再解釈する知的なアプローチで熱狂的な支持を集め続けています。

一方、NIGOはA BATHING APEを香港企業に売却後、2010年に「HUMAN MADE(ヒューマンメイド)」を設立。ヴィンテージアメリカンカジュアルをベースに、卓越したクラフトマンシップとポップな感性を融合させたアイテムを展開しています。ファレル・ウィリアムスやLil Uzi Vertら海外セレブとの強固なネットワークを武器に、瞬く間に世界的な人気ブランドへと押し上げました。

【ルイ・ヴィトンからKENZOへ】世界的メゾンを動かす二人の影響力と資産規模

二人の影響力は、ストリートの枠を完全に飛び越え、世界のハイファッション界の頂点へと到達しました。特に注目すべきは、世界最大のラグジュアリーコングロマリットであるLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)における二人の足跡です。

藤原ヒロシは2017年、キム・ジョーンズ率いる「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」との歴史的コラボレーションを発表。ストリートとラグジュアリーの融合という新時代を切り拓きました。そのバトンを受け継ぐように、NIGOも2020年にヴァージル・アブローと共に「LVスクエアード コレクション(LV²)」を手掛け、世界的な大ヒットを記録します。

さらにNIGOは、2021年に日本人として高田賢三氏以来初となる「KENZO」のアーティスティックディレクターに就任。パリ・ファッションウィークの公式スケジュールでコレクションを発表し、名実ともに世界のモード界を牽引するトップデザイナーの座に就きました。

世界的な成功に伴い、二人の年収や資産規模も桁外れです。NIGOは東京と海外に複数の豪邸を構え、総額数十億円に上るヴィンテージデニムや現代アート、高級車、ジュエリーの世界的コレクターとして知られています。藤原ヒロシもまた、世界中のブランドとのコンサルティングフィーやロイヤリティ、希少なヴィンテージウォッチや現代アートのコレクションを有し、両者ともに資産数十億円から100億円規模に達すると推定されています。

【藤原ヒロシ NIGO】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:NIGOの名前は本当に藤原ヒロシが直接名付けたのですか?
A1:直接名付けたのは、当時原宿にあったショップ「アストロストア」の店長・高石大樹氏です。「藤原ヒロシに顔がそっくりだから藤原ヒロシ2号」と呼ばれたことがきっかけで、のちに本人の公認を得て「NIGO」という表記になりました。

Q2:二人は現在も交流やコラボレーションを行っていますか?
A2:現在も交流は続いています。パリコレの会場や共通の知人であるデザイナーのパーティーなどで顔を合わせるほか、雑誌やWebメディアでの対談企画も実現しています。互いのクリエイティブに対するリスペクトは以前にも増して深まっています。

Q3:藤原ヒロシとNIGOのファッションスタイルの最大の違いは何ですか?
A3:藤原ヒロシはパンクやスケート、ストリートカルチャーをベースに、ミニマルで知的なエッセンスを加える「引き算の美学」が特徴です。対してNIGOは、50年代〜60年代のアメリカンヴィンテージやヒップホップカルチャーを深く追求し、ポップなグラフィックや独自の素材開発に落とし込む「情熱的なディテール追求」が際立っています。

90年代の原宿で「1号」と「2号」として出会った藤原ヒロシとNIGO。二人が歩んだ軌跡は、日本のストリートカルチャーが世界のハイファッションやポップカルチャーを席巻していく歴史そのものでした。

模倣から始まった関係は、独立とそれぞれの進化を経て、今や世界のファッション界を牽引する二大巨頭としてのパートナーシップへと昇華しています。時代が移り変わっても色褪せることのない二人のクリエイティビティと、次の一手に世界中から熱い視線が注がれています。

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コンテンツディレクター 安藤 澪
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