日本プロ野球界において前人未到の通算3085安打という金字塔を打ち立て、長年にわたり球界のご意見番として絶大な存在感を放ってきた張本勲氏。日曜朝の情報番組『サンデーモーニング』の名物コーナー「週刊御意見番」を勇退した後も、その歯に衣着せぬ発言と波乱万丈な歩みは多くのスポーツファンを引きつけてやみません。
圧倒的な打撃技術で幾多の記録を塗り替えた大打者でありながら、その私生活や出自には常に注目が集まってきました。「なぜ日本国籍を取得(帰化)しないのか」「本名やルーツはどこにあるのか」といった疑問を抱く人も少なくありません。戦中・戦後の激動期を駆け抜けた張本氏の軌跡と、信念に満ちた生き様の真相に迫ります。
【国籍と本名】張本勲は在日韓国人2世|韓国名「張勲」に込められた誇り

張本勲氏の国籍は大韓民国(韓国)です。両親が朝鮮半島から渡航した後に日本で生まれた在日韓国人2世にあたります。本名は韓国名で「張勲(チャン・フン / 장훈)」と名乗ります。
現役時代から本名を隠すことなく堂々と公表し、韓国籍のまま日本プロ野球(NPB)でプレーを続けました。昭和の時代、在日外国人に対する風当たりや偏見が根強く残っていた社会情勢において、自らのルーツを誇示しながらプロ野球界の頂点に登り詰めた姿は、日韓双方の多くの人々に強烈な勇気を与えました。
日本へ帰化しない決定的な理由|亡き母の教えと貫き通したルーツ
日本のプロ野球界で歴史的な名声と地位を確立した張本氏に対し、周囲からは「日本国籍を取得して帰化すれば、様々な手続きや社会的な制約も軽くなるのではないか」と勧められた場面が幾度もありました。しかし、本人は一貫して「帰化はしない」という断固たる立場を貫いてきました。
その最大の理由は、女手一つで貧困と差別を乗り越え、張本氏を含む子どもたちを育て上げた母・朴順分(パク・スンブン)さんへの深い敬愛です。母から授かった名前と血筋を捨てることは、自らの原点と母親の苦労を否定することにつながるという強固な信念がありました。
「日本で生まれ育ち、日本を愛しているが、自分の先祖から受け継いだルーツは曲げない」という姿勢は、単なる国籍の問題を超え、ひとりの人間としての矜持(プライド)そのものであったといえます。
広島での被爆と右手の火傷|逆境を跳ね返した過酷な生い立ち
張本勲氏の少年時代は、まさに壮絶を極める苦難の連続でした。1940年に広島市段原(現・南区)で生まれた張本氏は、4歳のときに焚き火へ転落し、右手の指が引きつれて自由を失う大火傷を負いました。このハンディキャップこそが、本来右利きだった張本氏を左投げ左打ちの稀代のバットマンへと導く皮肉な契機となります。
さらに翌年の1945年8月6日、5歳のときに広島市への原子爆弾投下により被爆。爆心地から約2.3キロの自宅裏で被爆した張本氏は奇跡的に倒壊家屋の隙間から救出されたものの、当時12歳だった最愛の長姉を原爆の犠牲によって失いました。終戦後の極貧生活の中、母が廃品回収などで必死に家計を支える背中を見ながら、「野球で成功して絶対に母を楽にさせる」という不退転の決意を固めていきました。
前人未到の通算3085安打と名球会|日韓球界に遺した偉大な足跡
名門・浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商高校)を経て、1959年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)へ入団した張本氏は、ルーキーイヤーから新人王を獲得。卓越したバットコントロールから「安打製造機」と称され、首位打者獲得7回、最高出塁率9回など圧倒的な記録を打ち立てました。
1980年には日本プロ野球史上初、そして現在も唯一となる通算3085安打を達成。504本塁打、319盗塁もマークしており、日本プロ野球で「3000安打・500本塁打・300盗塁」をすべて達成している選手は張本氏ただ一人です。
1978年には金田正一氏らとともに日本プロ野球名球会の創設に尽力。さらに1982年に発足した韓国プロ野球(KBO)の創設においても、当時の韓国政府首脳や野球関係者とのパイプ役を務め、球団運営のノウハウ提供や在日プロ選手の派遣を主導するなど、日韓のスポーツ交流において計り知れない功績を残しました。
『サンデーモーニング』降板の真相と家族の支え|妻・子供との絆
引退後の張本氏の代名詞となったのが、TBS系『サンデーモーニング』のスポーツコーナー「週刊御意見番」でした。「喝!」と「あっぱれ!」の歯切れよいフレーズは日曜朝のお茶の間に定着し、20年以上にわたって看板論客を務めました。
2021年末をもって番組のレギュラーを降板した背景には、高齢に伴う体力面への配慮や、次世代の野球解説者へバトンを渡したいという自身の意向がありました。晩年は発言を巡る議論が巻き起こる場面もありましたが、番組勇退時には多くの共演者や視聴者から長年の労をねぎらう声が寄せられました。
私生活では、若い頃に結婚した妻との間に娘が誕生しており、家族への愛情は非常に深いことで知られています。家庭内では野球の話を一切持ち込最初に、家族の温かな支えがあったからこそ、激しい勝負の世界とメディアの第一線を長年走り抜くことができました。
【2026年最新情報】張本勲の現在と球界への影響力
2026年を迎えた現在、張本勲氏は80代半ばとなり、メディアへの常時出演からは一線を引いた穏やかな生活を送っています。テレビのレギュラー出演を退いた後も、球界のビッグイベントや特別番組にはゲストとして姿を見せ、健在ぶりをアピールしています。
近年、日本人選手がMLBで次々と大記録を打ち立てる時代になっても、張本氏の「通算3085安打」というNPB最多記録の価値が色褪せることはありません。日韓両国の架け橋となり、差別や貧困、原爆の傷跡に屈せず歴史を切り拓いたレジェンドの言葉は、今なお後進のプレイヤーたちに重みを持って受け止められています。
【張本勲の国籍と経歴】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:張本勲さんの現在の国籍はどこですか?日本国籍を取得したのですか?
A1:現在の国籍も大韓民国(韓国)です。日本への帰化手続きは行っておらず、在日韓国人2世としてのアイデンティティを保ち続けています。
Q2:韓国での張本勲さんの評価や知名度はどのくらい高いですか?
A2:韓国でも国民的英雄として知られています。本名である「張勲(チャン・フン)」名義で広く認知されており、1982年の韓国プロ野球リーグ設立に深く関与した立役者として、韓国野球委員会(KBO)から功労賞を授与されるなど極めて高い評価を受けています。
Q3:なぜ右利きなのに左打ち・左投げなのですか?
A3:幼少期(4歳)に焚き火へ落ちて右手に重度の火傷を負い、指の関節が固まってしまったためです。右手を使えなくなったことで左利きへと矯正し、血のにじむような猛練習を重ねて左打ちの打撃フォームを確立しました。
張本勲氏が歩んできた人生は、過酷な生い立ちと偏見の壁をバット一本で打ち破ってきた闘争の歴史そのものです。国籍を変えず、自らのルーツを誇り高く掲げ続けた背景には、母への感謝と人としての確固たる信念が存在していました。
日韓球界に刻まれた不滅の足跡と、逆境を跳ね返して生み出された数々の大記録は、時代が移り変わっても色褪せることなく、これからも語り継がれていくはずです。