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巨福呂坂切通しはなぜ通行止め?立ち入り禁止の真相と現在の姿に迫る

安藤 澪 安藤 澪 • 更新: • 公開: • 読了約 9 分
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鎌倉の歴史探訪や古道歩きを楽しむ人々の間で、ひときわ強い関心と謎を呼び続けているのが「巨福呂坂(こぶくろざか)切通し」です。鎌倉と外部を結ぶ主要な出入口として整備された「鎌倉七口」の一つであり、国の史跡にも指定されている歴史的遺産ですが、現地を訪れても厳重な柵に阻まれ足を踏み入れることができません。

北鎌倉から鶴岡八幡宮へと抜けるかつての幹線ルートは、一体なぜ閉ざされたままなのか。2026年現在の現地の様子とともに、封鎖に至った崩落の経緯や防衛要衝としての歴史、そして今歩くことができる迂回ルートまで、現地取材と公的資料をもとにその真相を解説します。

【現在の状況】巨福呂坂切通しはなぜ通行止め?立ち入り禁止の真相と崩落の経緯

巨福呂坂切通し

現在、巨福呂坂切通しの旧道へ通じる登り口には、無骨な金属製のフェンスと鎌倉市による警告看板が設置されており、一般の立ち入りは完全に禁止されています。文化財ファンやハイカーが「少しだけでも古道の面影を見られないか」と訪れても、内部を窺い知ることすら困難な状態が続いています。

この徹底した通行止めの直接的な理由は、度重なる斜面の崩落と落石事故のリスクにあります。切通しが位置する山肌は鎌倉特有の軟弱な凝灰岩(砂岩・泥岩の層)で構成されており、風雨や地震に対して非常に脆い性質を持っています。明治以降、交通の主役が新道へと移って手入れが途絶えた旧道は、風化と浸食が急速に進行しました。

加えて、近年の台風や集中豪雨によって大規模な法面崩壊が複数箇所で発生。路面が土砂に埋没しただけでなく、頭上の崖がいまにも崩れ落ちかねない危険箇所が点在しているため、鎌倉市は安全確保を最優先として閉鎖措置を継続しています。「歴史の道だから」と安易に侵入できるレベルを遥かに超えた、本質的な危険地帯となっているのが封鎖の真相です。

【鎌倉七口の歴史】北鎌倉と鶴岡八幡宮を繋いだ防衛拠点「巨福呂坂」の真価

巨福呂坂がこれほどまでに注目されるのは、鎌倉幕府の命運を握る極めて重要な軍事拠点だったからです。『吾妻鏡』によると、仁治元年(1240年)に第3代執権・北条泰時の命によって開削が命じられ、山ノ内(北鎌倉)方面から鎌倉中心部へ通じる幹線道路として整備されました。

三方を山に囲まれ、一方が海に面した鎌倉は天然の要害ですが、外部との物資輸送や人の往来には山を削り取った人工の通路「切通し」が不可欠でした。その中でも巨福呂坂は、武蔵国や京都方面からの街道が合流する北の玄関口であり、幕府の中枢である鶴岡八幡宮の裏手へ直結する最重要防衛線として機能したのです。

有事の際には敵軍の侵入を食い止めるため、道幅は軍馬が隊列を組めないよう意図的に狭められ、崖の上からは弓矢や投石で迎撃できる構造がとられていました。江戸時代以降も生活道路として親しまれ、1969年にはその類まれな歴史的価値から鎌倉市内の他の切通しとともに国指定史跡に指定されています。

【ルート比較】旧切通しと「新巨福呂坂・洞門」の違い|行き方と地図上の位置関係

現在、北鎌倉と八幡宮周辺を行き交う人々が日常的に通っているのは、旧切通しではなく「新巨福呂坂」と呼ばれる県道21号(横浜鎌倉線)です。古道探訪を計画する際、この2つのルートを混同してしまうケースが少なくありません。

明治19年(1886年)、明治政府の手によって荷馬車や近代交通を通すための新道が開削され、さらに昭和に入って近代的なトンネルである「巨福呂坂洞門」が整備されました。地図上で位置関係を比較すると、旧切通しは現在の巨福呂坂洞門の真上からやや東寄りの尾根筋を縫うように走っていたことが確認できます。

旧道の入口跡へは、鶴岡八幡宮の西側、北条義時法華堂跡に近い住宅街の奥からアプローチする形になりますが、前述の通り手前で頑丈なフェンスに阻まれます。一方の新道は片側1車線の完全舗装路で歩道も整備されており、建長寺の壮大な伽藍を横目に歩く王道観光ルートとなっています。

【ハイキング愛好家必見】巨福呂坂の迂回ルートと北鎌倉から鶴岡八幡宮への安全なアクセス

北鎌倉駅から鶴岡八幡宮を目指すハイカーにとって、巨福呂坂切通しの通行止めは惜しまれる点ですが、安全かつ歴史情緒を堪能できる代替ルートが確立されています。現在利用できる主なルートは以下の2つです。

最もスタンダードな迂回ルートは、県道21号沿いを直進する「建長寺・洞門経由ルート」です。北鎌倉駅から南下し、円覚寺、建長寺を参拝しながら巨福呂坂洞門をくぐり、鶴岡八幡宮の境内へと至る道で、所要時間は徒歩約25〜30分。高低差も緩やかで、初心者でも安心して歩道を進むことができます。

山歩きの醍醐味を味わいたい方には、「葛原岡・大仏ハイキングコース」の一部を組み合わせた迂回がおすすめです。北鎌倉から浄智寺脇を抜けて葛原岡神社へ登り、そこから源氏山公園を経由して寿福寺裏や小町通り方面へ下りるルートをとれば、鎌倉特有の尾根道や緑豊かな自然を肌で感じながら鎌倉中心街へとアクセスできます。

【見学再開の可能性】国指定史跡としての保存課題と一般開放へのハードル

歴史ファンから切望されている「見学再開」について、2026年現在の見通しは決して明るくありません。鎌倉市教育委員会などの関係機関によって史跡調査や現状維持の確認は行われているものの、一般開放に向けた具体的な改修工事の計画は立っていないのが実情です。

史跡の安全対策には、極めて高いハードルが存在します。落石を防ぐためにコンクリート吹き付けや大規模な鉄骨ネットを張り巡らせれば、貴重な切通しの景観と歴史的遺構そのものが破壊されてしまいます。かといって、自然景観を保ったまま来訪者の生命の安全を100%担保することは、崩れやすい地質上、技術的・財政的に困難を極めます。

名越切通や朝夷奈切通のように、安全対策を施しながら通行可能な史跡切通しとは異なり、巨福呂坂は「保護と安全の両立」が最も難しい場所に位置しています。当面の間は、文化財保護と防災の観点から現状の閉鎖管理が続くとみられます。

【巨福呂坂切通し】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:巨福呂坂切通しは、自己責任であればフェンスを越えて入ることはできますか?
A1:絶対に入れません。落石や滑落の命に関わる危険があるだけでなく、国指定史跡の管理地および私有地に該当するため、無断侵入は不法侵入(住居侵入罪や軽犯罪法違反)に問われる可能性があります。

Q2:特別公開やガイドツアーなどで立ち入れる機会はありますか?
A2:極めて稀に鎌倉市や学術機関による調査・研究目的の立ち入りは行われますが、一般市民向けの現地見学ツアーは崩落の危険性から原則として実施されていません。最新の文化財公開情報は鎌倉市教育委員会の公式発表をご確認ください。

Q3:巨福呂坂切通しの雰囲気を少しでも味わえるスポットは近隣にありますか?
A3:建長寺の境内奥へ進んだ半僧坊周辺や、鶴岡八幡宮から近い「釈迦堂切通し」の遠望ポイント(※釈迦堂も通行止めですが近隣から景観の一部を体感可能)、あるいは安全に歩道が整備されている「名越切通」を訪れることで、鎌倉七口の迫力ある景観を体感できます。

鎌倉七口の防衛要衝として北条泰時が拓いた巨福呂坂切通しは、その険峻さゆえに現代では強固に封鎖され、静かに眠りについています。現地を通り抜けることは叶いませんが、その通行止めの理由自体が、かつて敵を寄せ付けなかった峻険な地形の証拠でもあります。

北鎌倉から鶴岡八幡宮を巡る際は、新巨福呂坂の洞門を抜けつつ、頭上に広がるかつての古道と武士たちの防衛線に思いを馳せてみてください。安全な正規ルートを守りながら、鎌倉の奥深い歴史の息吹を感じ取ることが、現代における最もスマートな古都探訪のあり方です。

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コンテンツディレクター 安藤 澪
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