日韓関係の大きな火種として長年議論が続く島、「竹島」。ニュースで耳にする機会は多いものの、「そもそもどこの領土なのか」「なぜ双方が領有権を主張しているのか」という根本的な背景を正確に把握できている人は意外に多くありません。日本海に浮かぶ小さな島々を巡り、両国の主張は今も真っ向から衝突しています。
日本側は一貫して自国固有の領土であることを主張し続けていますが、現地では韓国側による警備隊の常駐など一方的な占拠が続いています。2026年を迎えた現在も解決の糸口が見えないこの問題について、国際条約や外交文書といった歴史的経緯を踏まえながら、対立の深層をわかりやすく解き明かします。
【結論】竹島はどこの領土なのか?外務省の見解と日本の基本的立場
端的に結論を述べるならば、竹島は歴史的にも国際法上も完全に「日本固有の領土」です。日本の行政区分では島根県隠岐郡隠岐の島町に編入されており、日本政府および外務省の公式見解としても「一度も他国の領土になったことはなく、韓国による占拠は国際法上なんの根拠もない不法占拠である」と明確に位置づけられています。
日本が竹島の領有権を再確認した決定的な契機は、1905年(明治38年)1月28日の閣議決定です。当時、無主地(どの国にも属していない土地)であった竹島を島根県隠岐島庁の所管とし、近代国際法に則って領土編入の手続きを完了させました。これ以降、官有地台帳への登録やアシカ猟の許可など、国家として平穏かつ公然と主権を行使してきた確固たる実績が存在します。
対する韓国側は、日本が1910年の韓国併合に先立ち竹島を侵略・強奪したと主張していますが、1905年の編入は正当な主権の再確認作業であり、強奪という主張には客観的な証拠がありません。
なぜ日韓で主張が衝突するのか?「竹島」と「独島」の呼称の違いと対立の構図
この領有権対立を複雑にしている一因に、名称や認識のズレがあります。日本側が「竹島(たけしま)」と呼ぶのに対し、韓国側は「独島(トクト/Dokdo)」と呼称しています。単なる呼び名の違いにとどまらず、双方が依拠する歴史資料の解釈そのものが根本から食い違っているのが竹島問題の構図です。
韓国側の主な主張は、「512年に新羅が鬱陵島周辺の『于山国(うざんこく)』を服属させた古文書の記録があり、古くから自国の領土だった」というものです。さらに『三国史記』や『東国文献備考』などの古文献に登場する「于山島」が現在の竹島にあたると主張し、歴史的権利を訴えています。
しかし、日本の綿密な文献調査や客観的な地理分析によれば、朝鮮半島の古文書に描かれた「于山島」には竹が生えていたり、多くの住民が暮らしていたりしたと記されています。東西の断崖絶壁で構成される極小の岩礁群である実際の竹島とは地理的特徴が大きくかけ離れており、于山島は鬱陵島の近傍にある別の小島(現在の竹嶼など)、あるいは鬱陵島そのものの別称であったと考えるのが妥当とされています。この古文献の解釈を巡る隔たりが、双方の主張が平行線をたどり続ける大きな原因です。
歴史的経緯と領有権の真相|サンフランシスコ平和条約と「ラスク書簡」が示す決定打
第二次世界大戦後の国際秩序を確定させたサンフランシスコ平和条約の起草プロセスには、竹島の領有権に関する決定的な真相が記録されています。
1951年に署名された同条約第2条(a)において、日本は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定められました。ここで重要なのは、日本が放棄すべき島嶼の中に「竹島」は一切含まれていない点です。
条約起草の段階で、大韓民国政府はアメリカに対し「放棄すべき領土に竹島(独島)を加えてほしい」と公式に要請文を提出していました。これに対し、アメリカのディーン・ラスク国務次官補は1951年8月、韓国側へ明確な回答書を送付しました。これが歴史的に極めて重要な「ラスク書簡」です。
ラスク書簡には、次のような明白な事実が記されていました。
「竹島(リアンクール岩)は、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にあり、かつて朝鮮によって領有権が主張されたとは見なされない」
主導国であるアメリカが韓国側の要請を明確に拒絶し、竹島は日本領として残存することが連合国の共通認識として確定したのです。国際秩序を法的に決定づけた条約交渉の経緯を見ても、日本の領有権の正当性は揺るぎないものとなっています。
韓国による実効支配はなぜ始まったのか?「李承晩ライン」の一方的な設定と拿捕事件
平和条約によって正当な領有権が日本にあると示されたにもかかわらず、なぜ現在のような実効支配が成立してしまったのでしょうか。その契機となったのが、1952年1月、当時の韓国大統領・李承晩が突如宣言した「李承晩ライン(海洋主権宣言)」です。
李承晩政権は、サンフランシスコ平和条約が発効するわずか3カ月前、国際法を無視して日本海公海上に境界線を引き、その内側に竹島を取り込みました。当然、日本政府だけでなくアメリカやイギリスもこの一方的な水域設定に対して激重な抗議を行いましたが、韓国側はこれを完全に黙殺しました。
さらに悲惨な事態が続きます。ラインを越境したとみなされた日本の漁船が韓国警備艇によって次々と銃撃・拿捕され、拿捕された漁船は328隻、拘留された日本人漁民は3,929人、死傷者は44人にも上りました。この不法な拿捕劇を背景に、韓国側は1954年、竹島に「沿岸警備隊」を常駐させ、灯台やヘリポートなどの施設を次々と建設していったのです。
つまり、韓国による実効支配の理由とは、平和的な話し合いや法的手続きによるものではなく、武力行使と人質外交を利用した既成事実化です。
【2026年最新】竹島問題の現在の状況と島根県隠岐の島町の取り組み
2026年を迎えた現在も、竹島問題の現状は膠着状態が続いています。韓国側は警察庁の警備部隊を島に常駐させ、定期的な軍事訓練や要人の上陸を強行し、支配の実績づくりを積み重ねています。
これに対し、地元である島根県隠岐の島町や県は、粘り強く主権回復を訴え続けています。島根県は2005年に条例を制定し、閣議決定から100年目にあたる毎年2月22日を「竹島の日」と定めました。毎年開催される記念式典には政府高官(政務官クラス)が出席し、世論の啓発や教育現場での正確な知識の伝承に取り組んでいます。
地元隠岐の島町では、かつて島周辺で盛んに行われていたアシカ猟やアワビ漁の記憶を風化させないよう、当時の古写真や聞き取り証言をデジタルアーカイブ化して後世に残す試みが加速しています。領土問題を決して地域だけの問題で終わらせず、国全体の主権に関わる重大事として訴え続ける姿勢が維持されています。
国際司法裁判所(ICJ)への付託提案と韓国側の拒否|解決へのハードル
国際紛争を法に基づいて平和的に解決するため、日本政府はこれまで計3回(1954年、1962年、2012年)、国際司法裁判所(ICJ)への単独付託や共同付託を韓国側に提案してきました。
自らの主張に法的な正当性があるならば、国際機関の公平な法廷で堂々と決着をつければよいはずです。しかし、韓国側は「竹島は自国の領土であり、外交交渉や司法的解決の対象となる領有権問題そのものが存在しない」という論理を盾に、一貫してICJへの付託を拒否し続けています。
ICJのルール上、原則として当事国の双方が同意しなければ裁判を開始できません。韓国側が応じない限り法廷での審理が実現しない制度上の壁が、解決を先送りさせる最大の要因となっています。日本側は第三国を交えた対話を求め続ける一方、韓国側の頑なな拒絶姿勢が国際社会における不信感を生み出しています。
【竹島はどこの領土なのか】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:一般の日本人が竹島に渡航することはできるのですか?
A1:実質的に不可能です。現在、韓国政府が不法占拠しており、島への立ち入りを厳しく制限しています。韓国の港から鬱陵島経由で竹島(韓国名:独島)へ向かう観光船が存在しますが、日本政府は韓国の出入国手続きに従って入域することを「韓国の管轄権を認めることになる」として自粛を求めています。
Q2:竹島には現在、民間人が住んでいるのですか?
A2:過去に住民票を移して生活していた韓国人住民がいましたが、現在日常的に滞在しているのは主に韓国の海洋警察隊員や灯台の管理要員などの公務員です。過酷な自然環境と切り立った地形のため、自活的な経済活動やコミュニティが成立しているわけではありません。
Q3:なぜ国連などの国際機関は仲裁に入らないのですか?
A3:領土問題は当事国同士の二国間対話や合意が原則とされているためです。国連安保理の議題とするには常任理事国の利害関係が絡み、国際司法裁判所(ICJ)での裁判も相手国の同意が必要となるため、国際機関が強制的に介入して結論を出すことは極めて難しいのが現実です。
感情論や偏った言説に流されがちな領土問題ですが、残された記録を一つひとつ紐解いていけば、竹島が日本固有の領土であるという歴史的・法的事実は極めて強固です。1905年の閣議決定、サンフランシスコ平和条約における確定、そして米国のラスク書簡に記された見解など、客観的な証拠は一貫して日本の立場を裏付けています。
力による現状変更や一方的な実効支配を国際社会が容認すれば、法に基づく秩序そのものが根底から揺らぎかねません。2026年現在も続く占拠の現実に目を背けず、歴史的な経緯と正確な事実を正しく把握し続けることが、主権を守り抜くための第一歩となります。