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帝銀事件とは?毒殺の手口と731部隊の謎、平沢貞通の冤罪疑惑に迫る

安藤 澪 安藤 澪 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
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終戦直後の混乱期、占領下の日本を震撼させた戦後最大のミステリー「帝銀事件」。白昼堂々と行われた冷酷極まりない毒殺手口、軍事研究組織の影、そして死刑判決を受けながらも生涯無実を訴え続けた画家の存在――。発生から長い年月を経た2026年の今なお、この事件が放つ異様な不気味さと疑惑の霧は晴れていません。

帝銀事件とは一体なぜ起きたのか。なぜ逮捕された男の死刑は執行されることなく、現在もなお遺族らによる再審請求が続けられているのか。残された証言やGHQの思惑、毒物の正体に迫りながら、昭和史最大の闇とされる真相をわかりやすく紐解きます。

【事件の概要】昭和23年の白昼に起きた帝国銀行椎名町支店の惨劇

帝銀事件とは

事件が起きたのは、敗戦からわずか3年足らずの1948年(昭和23年)1月26日午後3時過ぎ。東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店(現・三井住友銀行の系譜)に、東京都の防疫班の腕章を巻き、厚生技官の名刺を持った男が現れました。

男は「近隣の井戸から集団赤痢が発生した。GHQの指示で予防薬を飲んでもらう」と告げ、閉店作業中だった支店長代理を含む行員とその家族16名(大人11名、子ども5名)を集めました。男自らが手本として小瓶の液体を飲んでみせたため、行員たちは何一つ疑うことなく2段階に分けて配られた液体を口にします。

しかし、それは予防薬ではなく猛毒でした。全員が激しい苦悶とともに倒れ伏し、16名中12名が死亡。男は店内にあった現金16万4,410円と小切手を奪い、忽然と姿を消しました。手慣れた所作と冷徹な計略によって実行された、日本犯罪史上例を見ない凶悪事件の幕開けでした。

【毒物の正体】青酸カリではなく「青酸ニトール」?軍事研究の影

捜査当初、毒物は即効性の高い「青酸カリ」と発表されました。しかし、被害者たちの倒れ方や遺体の解剖結果を精査すると、青酸カリ特有の即死ではなく、数分間のタイムラグ(潜伏期間)を経てから急激に症状が悪化するという特異な経緯をたどっていました。

法医学者や専門家の間から浮上したのが、旧日本陸軍の秘密研究所(登戸研究所)で極秘開発されていた青酸ニトール(アセトン・シアンヒドリン)をはじめとする特殊毒物説です。青酸ニトールは即効性を抑え、被害者に毒と気づかせずに確実に致死量を摂取させる目的で研究されていた軍事機密でした。

犯人が見せた「自ら毒物を飲み干すように見せかける巧みなトリック」や、スポイトを用いた正確な投薬動作は、毒物の性質を熟知した専門家でなければ不可能とみられています。この点が、一般の民間人による単独犯行という説に対する最大の疑問符となりました。

【捜査の急展開とGHQの影】なぜ旧軍関係者から平沢貞通へ舵を切ったのか

当初、警視庁捜査本部は犯人の手慣れた手口や特殊毒物の使用から、旧陸軍軍医や生物・化学兵器を研究していた731部隊(関東軍防疫給水部)および登戸研究所の元関係者を最有力容疑者として追っていました。捜査線上に浮かび上がった軍関係者のリストは絞り込まれ、事件解決は目前とみられていました。

ところが、捜査は突然の方向転換を余儀なくされます。当時の日本を実質的に統治していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からの横槍が入ったとされています。冷戦構造が激化する中、米国は731部隊が保有していた細菌戦や毒物の研究データを極秘裏に入手・独占するため、部隊関係者の免責と引き換えに捜査を中止させたという見方が極めて有力です。

軍関係者への追及を断たれた警察は、犯人が残した「厚生技官・松井蔚」の名刺の行方を追う名刺班の捜査に全力をシフト。松井氏と名刺を交換していた著名なテンペラ画家・平沢貞通が捜査線上に浮上し、1948年8月に北海道小樽市で逮捕されることとなりました。

【冤罪説の核心】平沢貞通の自白と生き残りの証言の矛盾

逮捕された平沢貞通には、事件直後に不自然な大金を入手していた事実や、過去の詐欺歴などの疑わしい点がありました。警察の過酷な取り調べの末に一度は自白に至り、1955年に最高裁で死刑判決が確定します。しかし、この有罪判決にはあまりにも多くの矛盾が存在していました。

第一に、生き残り被害者たちの証言との食い違いです。現場で犯人と直接対峙した生き残りの行員や家族は、面通しの際に「犯人と平沢は顔も体つきも違う」「犯人はもっと若く、軍人のような引き締まった雰囲気だった」と証言していました。平沢の特徴であった顔面の傷痕や特異な風貌を、被害者の誰も記憶していなかったのです。

第二に、平沢には化学や医学の専門知識が一切なく、特殊な軍用毒物を入手・調合するルートも持っていませんでした。加えて、取り調べでの自白は拷問や精神的圧迫によって引き出されたものと主張され、公判では一貫して無罪を訴え続けました。

【死刑が執行されなかった理由】法務大臣が署名を拒み続けた法廷の暗部

平沢貞通は死刑確定囚となりながらも、1987年に八王子医療刑務所にて95歳で獄中死するまで、32年間にわたり死刑が執行されませんでした。これは日本の法曹史上極めて異例の事態です。

死刑が執行されなかった最大の理由は、歴代の法務大臣が「冤罪の可能性が極めて高く、国家による誤判殺人を恐れたため」です。森下国雄、大橋武夫、小山長規ら歴代の法務大臣は、事件の記録を精査する中で証拠の脆弱さと自白の不自然さに強い疑問を抱き、執行命令書への署名を頑なに拒否し続けました。

文豪・松本清張をはじめとする文化人や法学者、ジャーナリストらによって強力な救援会が組織され、世論の監視の目が光っていたことも執行を阻む大きな要因となりました。法務省自身も、執行後に真犯人が発覚した際の致命的な打撃を恐れていたとみられます。

【帝銀事件とは】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:帝銀事件の犯行手口と被害状況は?
A1:1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店に防疫班を名乗る男が現れ、GHQの指示による赤痢予防薬と偽って行員ら16名に猛毒を飲ませました。12名が死亡し、現金約16万円と小切手が奪われました。

Q2:なぜ731部隊やGHQの関与が疑われているのか?
A2:使用された毒物が軍事研究所で開発されていた「青酸ニトール」と推測され、手口も軍医の所作に酷似していたためです。警察が731部隊関係者を追う中、米軍(GHQ)が細菌戦データの独占と引き換えに捜査を打ち切らせた疑惑が強く残っています。

Q3:逮捕された平沢貞通は真犯人だったのか?
A3:裁判では死刑が確定しましたが、自白の強要、毒物入手ルートの不在、生存者の証言との矛盾から現在も冤罪説が有力です。死刑執行は見送られ続け、獄中死した現在も養子や支援弁護団による再審請求が続けられています。

帝銀事件は、単なる一銀行を標的にした強盗殺人事件ではありません。敗戦直後の占領統治、旧日本陸軍の秘密部隊、冷戦下の国家機密、そしてずさんな初動捜査と自白偏重の司法制度――昭和という時代の暗部が幾重にも交錯した戦後最大の未解決ミステリーです。

平沢貞通の獄中死後も、遺族と弁護団は名誉回復を目指して死後再審請求を継続しています。2026年の現在も第20次再審請求に向けた活動が続けられており、提出された新証拠や毒物鑑定の再検証が進められています。歴史の闇に葬られた真犯人は誰だったのか、そして国家は何を隠蔽したのか。昭和史に刻まれた巨大な疑問符は、いまもなお私たちに重い問いを投げかけています。

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コンテンツディレクター 安藤 澪
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