NHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルとして今なお語り継がれる「日本のウイスキーの父」こと竹鶴政孝。スコットランドから妻のリタを伴って帰国し、幾多の苦難を乗り越えてニッカウヰスキーを創業した彼のドラマチックな生涯は、多くの人々の記憶に刻まれています。しかし、政孝亡きあとの竹鶴家の血筋や子孫の歩みについては、意外と知られていない事実が少なくありません。
政孝とリタの間に実子はいなかったのか、事業を継承した養子・竹鶴威(たけし)氏の足跡、そして孫にあたる竹鶴孝太郎氏が現在どのような活動を展開しているのか。創業者のDNAを受け継ぐ一族の家系図と知られざる歴史を紐解きます。
【家系図の真実】竹鶴政孝とリタに実子はいたのか?養子縁組の背景
竹鶴政孝とスコットランド出身の妻・リタ(本名:ジェシー・ロベルタ・カウン)の間には、生物学上の実子はいませんでした。リタは一度妊娠したものの流産を経験しており、異国の地で言葉や文化の壁と戦いながら夫を支え続けた彼女の身体的・精神的負担は計り知れないものがありました。
そこで竹鶴夫妻は、二人の子どもを養子として迎え入れています。一人は政孝の甥にあたる竹鶴威(たけし)氏、もう一人は幼少期に引き取った養女のリマ(本名:房代)氏です。
政孝の実家である広島県竹原市の竹鶴酒造(清酒メーカー)の家系から迎えられた威氏は、政孝の実姉・延代の四男にあたります。政孝にとって威氏は直系の甥であり、竹鶴の血を引く正統な後継者として白羽の矢が立ちました。この養子縁組こそが、後のニッカウヰスキーの屋台骨を支える極めて重要な転換点となりました。
【後継者・竹鶴威の経歴】ニッカを世界企業へ導いた「養子」の手腕と現在
竹鶴政孝の後継者としてニッカウヰスキーを世界的ブランドへと押し上げた立役者が、養子の竹鶴威氏です。
威氏は北海道大学工学部応用化学科を卒業後、1949年に大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)に入社しました。政孝からウイスキーづくりの神髄を叩き込まれた威氏は、第2代マスターブレンダーとして数々の名作ウイスキーを生み出します。特に、宮城峡蒸溜所の開設やカフェグレーンウイスキーの導入など、政孝の夢を具現化する設備投資と品質向上を断行しました。
1982年には代表取締役社長、のちに会長・相談役を歴任。アサヒビール(現在のアサヒグループホールディングス)との資本提携を進め、ブランドの経営基盤を強固にした功績は絶大です。
ウイスキー業界に偉大な足跡を残した威氏は、2014年12月に90歳で逝去されました。朝ドラ『マッサン』の放送を見届けた直後の旅立ちであり、政孝とリタが切り拓いた道を全うした生涯でした。
【養女・リマの真相】ドラマ『マッサン』では描かれなかった親子の葛藤
ドラマ『マッサン』で主人公夫妻の養女「エマ」として描かれた女性の実在モデルが、養女の竹鶴リマ(房代)氏です。
リタの強い希望もあり、乳児期に竹鶴家に迎えられたリマ氏ですが、成長するにつれて出自の葛藤や家庭環境への反発を抱えるようになります。太平洋戦争中、敵国人として特高警察に監視される母・リタの姿を間近で見て育ったことや、厳格な家庭教育とのギャップが重なり、思春期以降は両親と衝突を繰り返しました。
やがてリマ氏は家を出て結婚を選び、一時期は竹鶴家と疎遠になるなど、ドラマでは描ききれなかった複雑な人間模様が存在しました。しかし晩年にはリタの献身や政孝の愛情を深く理解し、両親の思い出を語る機会も持ちました。リマ氏もまた2000年代に他界していますが、彼女の存在は竹鶴夫妻の人間味あふれるもう一つの真実を物語っています。
【孫・竹鶴孝太郎の経歴と活動】ウイスキー文化を伝えるクリエイターの現在地
竹鶴政孝の孫(威氏の長男)にあたるのが、竹鶴孝太郎(たけつる こうたろう)氏です。
孝太郎氏は1953年生まれ。成蹊大学法学部を卒業後、ニッカウヰスキーに入社し、マーケティングや販売促進の現場で活躍しました。ウイスキーが単なる嗜好品にとどまらず、ライフスタイルや文化として定着するためのプロモーションに深く関わっています。
その後、ニッカウヰスキーを退職して独立。現在は写真家・クリエイティブディレクターとして多彩な活動を展開しています。祖父・政孝のウイスキーに対する情熱や、父・威氏から受け継いだクラフトマンシップの精神を、講演会、執筆活動、写真展などを通じて精力的に発信しています。
ビジネスの最前線でウイスキーを製造する立場からは一歩引きつつも、文化的な語り部として竹鶴家のレガシーを現代に繋ぐキーパーソンとして独自の存在感を放っています。
【実家・竹鶴酒造との関係】広島・竹原に息づく創業者のルーツと直系血統
竹鶴政孝のルーツを語る上で欠かせないのが、生家である広島県竹原市の竹鶴酒造です。江戸時代中期の創業以来、完全発酵による重厚な純米酒「小笹屋 竹鶴」を醸し続ける名門酒蔵として知られています。
政孝は分家筋としてスコットランドへ渡り洋酒の道へ進みましたが、生家の竹鶴本家は代々、清酒造りの伝統を守り抜いてきました。現在も政孝の親族にあたる竹鶴家の直系が蔵元を務め、伝統的な生酛(きもと)造りをはじめとする妥協のない酒造りを継続しています。
ウイスキーの「ニッカ」と日本酒の「竹鶴酒造」。ジャンルこそ異なれど、「本物の酒を造る」という愚直なまでのクラフトマンシップは、広島・竹原の地に息づく一族の血統に共通する普遍の哲学です。
【竹鶴政孝の子孫】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹鶴政孝に直系の子孫(血のつながった実子)はいますか?
A1:政孝とリタの間に実子はいません。ただし、政孝の実姉の息子である甥の竹鶴威氏を養子に迎えたため、竹鶴威氏およびその息子の竹鶴孝太郎氏は、政孝と血縁関係(甥および大甥)にある一族です。
Q2:現在、ニッカウヰスキーの経営に竹鶴家の子孫は関わっていますか?
A2:現在、ニッカウヰスキーはアサヒグループホールディングスの完全子会社となっており、竹鶴家の子孫が直接役員などの経営中枢に入っているわけではありません。孫の竹鶴孝太郎氏は社外から文化発信やアドバイザー的な立場で関わっています。
Q3:竹鶴威氏の現在のご様子はどうなっていますか?
A3:ニッカウヰスキー第2代マスターブレンダーを務めた竹鶴威氏は、2014年12月に90歳で逝去されました。生前は日本のウイスキー産業発展への貢献により、数々の栄誉を受けています。
竹鶴政孝とリタが北海道・余市の地で蒔いた一粒の麦は、養子・威氏の卓越した技術と経営手腕によって大樹へと育ち、世界最高峰と称えられるジャパニーズウイスキーへと結実しました。
実子がいなかった竹鶴家ですが、甥である威氏への事業継承、そして孫である孝太郎氏による文化発信を通じて、その精神的DNAは途切れることなく息づいています。世界中で日本のウイスキーが愛される今、政孝が遺した情熱の歴史は、次世代へと確かに語り継がれています。